| ≪紀行文≫ |
|
|
| 〜〜〜また一つ「新潟通?」になった大変有意義な山行〜〜〜 |
自分が転勤で新潟市に来てから、丁度50年です。
新潟市の印象は、交流する方々がどなたも控えめで優しく、付き合いがしやすいことでした。妻も気に入ってくれて、遂に新潟に家を新築したのです。
その後の単身赴任の転勤や出張の連続でしたので、まだまだ新潟のことを知らない事は多いと思います。
また、ここ30年ほどは市内中心部を車で通ることはあっても、歩くことはまずなく、今回の新潟市内を巡る「街トレッキング」は、期待と楽しみいっぱいでの参加でした。
|
前夜は雨!、時々の遠雷もあって心配しましたが、朝になったら見事に晴れ!(リーダーの行いが良かったのか?)、大変歩き易い気候のもと23名で4班編成での街歩きを楽しみました。
新潟駅隣の「石宮公園」に全員集合し、班ごとに案内して戴くガイドさん4人の紹介と挨拶を受け、集合写真を撮ってから出発です。
|
 |
| |
石宮公園で、ガイドさん三人も入っての集合写真。 |
 |
 |
 |
リーダーの挨拶、ガイドさんの紹介
|
各班ごとにガイドさんから今日のコース概要などの説明を戴きました |
駅前から大通りを一本入った「弁天通り」を歩き、流作場三叉路で前時代の「萬代橋」の起点を見学、そして、こんな所に地下通路があるとは知らなかった「万代クロッシング」で、初代萬代橋の構造図や展示されている橋脚の実物が見られました。
|

|
 |
 |
| 弁天通りを歩きながら、新潟駅や駅前などの成立ちの歴史を聞きました |
 |
 |
 |
| 流作場三叉路の成立ちや歴史、初期の萬代橋の起点などを聞く。 |
 |
 |
 |
地下に降りて「万代クロッシング」で、萬代橋の基礎などを見学。
|
更に進んで、「メディアシップ」の最上階展望台から眼下の街の説明を受ける。
当時の新潟港の成立ちを伺い、かってあった阿賀野川と信濃川の合流点などの説明もあり、ここでも知らなかった新潟の歴史の一端に触れることができました。
|

|
 |
 |
メディアシップの屋上から街を眺め、かっての万代や沼垂地区などの様子を伺いました.
|
万代橋を渡り、白浜虚子の「千二百歩七十歩なり露の橋」の句碑を見てから、柾谷小路を歩いて古町へ。
道路元票の場所では、この地が9本の国道が通っていて「日本一国道が集まる場所」であることも学びました。
また、会津八一の句碑では、八一は濁点が嫌いで「かぜ」を「かせ」と書いたことも知りビックリ!
|

|
 |
 |
万代橋の橋桁や基礎工事の
内容を教えられました |
白浜虚子が新潟で詠んだ句の説明を受けました |
 |
 |
 |
| 柾谷小路の古町十字路が、街道(国道)の集合場所でもあることを知りました |
 |
 |
|
新潟市の名誉市民・会津八一の揮毫碑を見る
|
|
そして花街通・鍋茶屋通りを経て「三業組合」の美しい日本間や貴重な欄間などを見学してから、今回の締め括り場所「鮨・割烹丸伊」の座敷で、昼食です。
*注 三業地とは「料理屋、待合、芸妓屋」の集まった地域のこと。
|
 |
| 古町十字路から下町に向かう |

|
 |
 |
三業組合の見事な和式の座敷や床・欄間などを見学
|
美味しい和食料理を戴きながら、賑やかに話も盛り上がり楽しい時間を過ごしました。
新潟市に住みながら知らなかった事柄を幾つも学び、また一つ「新潟通?」になった大変有意義な山行、リーダーはじめ班長さん、一緒に楽しく歩いた皆さんや、丁寧に説明して戴いたガイドさんに感謝!です。(おわり)
|

|
 |
 |
リーダーの挨拶で開宴。
|
美味しい食事、皆での楽しい会話、
そして三三七拍子で今日のトレッキングを締め括りました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| |