会山行紀行文 2024年
12/2(月)
快晴
文明開化をたどる@ 参加者 (紀行文) 2052 M/T
No−T54  グレード:E 30名 (俳句) 557 T/K
 担当リーダー 2051 M/T (男性3名・女性27名) (写真) 2052 M/T
≪コースタイム≫
Next21(10:00)…正福寺…白壁通り…カトリック教会…新潟営所跡…諏訪神社…新大資料館…医学所跡…市役所(12:00)…ピーア軒・昼食(12:30-13:10)
≪紀行文≫
〜〜〜一年の山行の締めを行うことができました〜〜〜

 雨天予報のために一日繰り上げての実施になりました。お天気の神様が味方して、当日は素晴らしい小春日和となりました。Next21に集合、4名のガイドさんと挨拶を行い、グループごとに分かれ出発です。
 新潟町は明治元年の開港と共に文明開化が始まり、県令・楠本正隆の辣腕により文明開化モデル地区になりました。その開化の町並みの跡をガイドさんの詳しい説明を聞きながらの歩きです。
 県下で初めて西洋式医療および種痘を行った施蘭薬院が設けられた正福寺、イザベルバードも訪れたというパーム師の医院跡、清水常作により建造された北方文化博物館新潟分館、会津藩士の慰霊碑・殉節之碑のある新潟神宮を経て、こんな所に通路?細小路から御林稲荷神社へ抜けました。これも町歩きの面白さです。

 (俳句)・極月の大晴れ日なり町巡り ・パーム師の住し家残る冬の町
ガイドさんとの挨拶 正福寺で施蘭薬院の説明 その頃のパーム医院の写真
もとはパーム医院だった建物 当時の外国人の写真 会津藩士を祀った殉節之碑
 碑の裏側も詳しく説明 細小路歩きも面白い! 防風林が「御林」に指定され祀られた御林稲荷神社

 明治に新潟市で初めて建てられた カトリック教会を通り、なかなか急な坂道を登り寄居中学校裏の高台へ、眼下の寄居中学の校庭には富国強兵のために作られた営所(軍隊)跡、そしてその海側には河童伝説のある猫山宮尾病院があったそうです。
 寄居村の開拓ともに歩んだ歴史ある諏訪神社にはウミガメの甲羅が神殿に祀ってあります。新潟の海で捕れたウミガメとのこと、新潟の海はかつて温かかったのかな?

 (俳句・異国めく教会堂や銀杏散る ・幼児らの日向ぼこりのお諏訪さま
ロマネスク様式を取り入れた和洋折衷のカトリック教会 本日一番の坂道の登り  寄居中学校庭は営所(軍隊)跡
諏訪神社のウミガメの甲羅 十種の福徳を得られる福一稲荷大明神 こんな所にも抜け道が!

 戊辰戦争の戦死者を祀った招魂社後に残るワルツ坂ともいわれる「しょうこん坂」、別名、女坂ともいうそうです(ちなみに、どっぺり坂が男坂)。この辺は砂丘の高台で、一番最初に朝日があたることから朝日町と言われていたが、今は旭町になっています。
 石油王・新津恒吉が外国人迎賓館として建てた新津記念館、そこから坂を下った所は医学町。
 医学の発祥の新潟医学所跡には、新潟病院、新潟医学校などがあり、当初は仲(すあい)から上がる税金で治療費は無料だったそうです。文明開化のもたらした良き時代だったようです。
 2時間のガイドさんの説明に、参加者の皆さまは新潟町の再発見になったと感想でした。
 昼食は新潟の歴史と共に101年歩んできたピーア軒でいただき、一年の山行の締めを行うことができました。

 (俳句)・落葉踏む今新しきワルツ坂 ・石油王建し豪邸冬木立
新潟で2番目に古い鉄筋コックリートの建物 ワルツ坂ともいわれる「しょうこん坂」 新潟の迎賓館として作られた新津記念館
 この辺に仲(すあい)の宿舎がありました 今はひっそりと新潟医学所跡 眼病治療の寄付を記念した明治天皇開眼御下賜金記念碑
名物ビーフシチューも入ってます 
集合写真 皆さん揃っていただきま〜す!