≪紀行文≫ |
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〜〜〜イギリスの旅行家イザベラバードの足跡を尋ねてA〜〜〜 |
イザベラ・バードさんは、1831年(天保2年)生まれの旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリスト(自然に関心を持って、積極的に親しむ人)です。病院を設立された方でもあります。絵を描くことがとても上手だったそうです。新潟を「新潟の街すごくきいれい」とおっしゃっていたそうです。
新潟には1878年(明治11年)7月に通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉さんといらっしゃいました。
天候に恵まれ、白山公園で参加者全員で記念写真を撮影し、班ごとに分かれて出発。
白山公園は、1989年(平成元年)「日本の都市公園100選」に選ばれ、2018年(平成30年)に「国の名勝」に選ばれた公園です。
白山公園内の美由岐賀岡に行き、新潟裁判所前へ。新潟裁判所に石垣があるのは、江戸時代から長岡藩の米蔵で、周りが堀に囲まれていたため、お米がしけないようにしていた名残だそうです。 |
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集合写真 |
美由岐賀岡 石碑 |
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イザベラバードさん |
伊藤鶴吉さん |
裁判所を通り、いこい公園へ。
新潟は、日差しが強かったり、風が強く砂が目に入ってしまう様な気候のせいか、眼が悪い方がたくさんいらっしゃったそうです。原因を調査するよう、そして治療予防に尽くすよういろいろな組織が立ち上げられたそうです。
「明治天皇聖徳記念碑」「新潟医学所跡」という石碑があります。
西堀通りに向かうと、新潟青陵高校の前身の新潟女子工芸高等学校があったという石碑があります。 |
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新潟医学所跡石碑 |
ここに新潟女子工芸高等学校ありきの石碑 |
明治天皇聖徳記念碑 |
西堀通にある「瑞光寺」。お地蔵様をずるずる引っ張っていたら止まって動かなくなってしまったそうです。
昔、新潟の港は政府にお米を取られないよう闇販売し稼いだ方が多かった様で「金の成る港だ」と言われ、日本で人口が1位になるくらい増えすぎたため住む場所がなくなり、お寺の敷地内にも住宅を建てた名残が今も残っているそうです。
イザベラバードさんが描いた西堀の風景と、寺町のお坊さんの絵を紹介していただきました。
西堀通と鍛冶小路の角にある「笹川餅屋さん」。江戸時代は、牢獄だったそうです。 |
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イザベルバードさんが描いた西堀の風景画 |
イザベルバードさんが描いたお坊さん画 |
笹川餅屋さん |
新潟市名誉市民の會津八一さん。1881年(明治14年)8月1日生まれなので「八一」という名前なのだと説明していただきました。生誕地には石碑がありました。
途中、新潟県PRキャラクターの「ニイガタ姉さん」に遭遇しました。
本町通と新津屋小路が交わる角地に立つ「白龍大権現」を通り、NEXT21へ。NEXT21の向かいにある「古町ルフル」は新潟漆器で、櫓をイメージして建てられたものだそうです。
PXL_20240111_205611582 参加者Kさんの俳句 |
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會津八一さん生誕地 |
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ニイガタ姉さん |
白龍大権現 |
古町ルフル外観 |
NEXT21に全員で集合し、割烹「蛍」へ。
それぞれ自己紹介をし、談笑しながら昼食をおいしくいただきました。
最後に参加者のK様より素敵な俳句をいただきましたので紹介いたします。 |
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≪俳句≫
凍てし宮楽山会の山始め
医学所の跡山茶花の垣囲む
閉じし店ある横丁の冬野菜
堀跡の柳冬日にきらきらと |
寒日和イザベラバードの道訪ね
古町の八一の歌碑に冬灯し
細き道蕗谷小路に冬日さす
珍しき暖かき日の冬御膳 |
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割烹蛍の外観 |
割烹蛍での会員の様子 |
割烹蛍の食事 |