会山行紀行文 2024年
6/13(木)
中山道鳥居峠越
(薮原宿~奈良井宿)を歩く
参加者 (紀行文) 1748 S/Y
3名
(男性1名・女性2名) (写真) 1748 S/Y
≪コースタイム≫
巻潟東IC(6:30)=奈良井宿駐車場(9:50)=薮原道の駅(10:10-10:25)…中山道鳥居峠入口(11:05)…丸山公園(11:35-12:15)…御嶽神社(12:25)…鳥居峠(12:45)…一里塚(13:00)…奈良井宿(13:50-15:30)=巻潟東IC(19:30)
≪紀行文≫
~~~旅は道連れをしみじみ感じ味わいました~~~

 50年ほど前に「木曽は山の中です誰も来やしません~♬」と歌に魅かれ中山道を一人歩いた。そんな思い出の奈良井宿に行きませんかと、声を掛けて頂き喜んで参加いたしました。
 奈良井宿駅付近の無料駐車場に車を止めて、タクシーで薮原宿に向かう。
 薮原道の駅で初めて見る「ほおば巻」を買って「ほおばる」。朴葉に餅を包んで蒸したもので、餅はかしわ餅に似ている感じです。これで元気を出して鳥居峠を越えて奈良井宿迄歩こう!

 パンフレットの案内図を見ながら、地下道を通り線路の向こう側へ渡り薮原宿の街並みを歩く。いたる所に水が引かれている。冷たく清らかな水だ。薮原宿の街道は人影もなくひっそりしていた。舗装した道がガードの下を通り急勾配の登りになってくる。本当に沢山の水が流れ出ていて集落の生活用水や防火用水としても充分豊富な水量だと思った。
珍しいほおば巻 今日は静かな薮原宿街道 豊富に流れ出す引水

 鳥居峠の案内看板に従って歩くと工事中の為少しだけ迂回路を行く。前方に数人の団体が先行している。舗装道路と分かれて稲荷神社の横を通る。ワクワクしながら、いよいよ石畳の古道に入り古道中山道を鳥居峠へ向かう。
 石畳が終わり、大きく九十九折の登りに指しかかる。道は幅広く歩きやすい。石碑を見ながらその時代に思いを馳せ、緑陰の道を歩くと春ゼミの声だろうかガチャガチャジージーと賑やかだ。
 朱色の稲荷神社  ここから石畳の古道  石碑に何が刻まれているのか

そろそろお腹がお昼を要求してきた。森林測候所跡を目指して階段を登る。そこは広く平らな場所でログハウス風の休憩所がある。回り込んだ林道が直ぐそこまで来ていた。そこから5分も行かない所に一段高くなった芭蕉の句碑の有る丸山公園に着いた。そこそこ眺めもあり風も通りベンチもあるのでお昼休憩にした。
森林測候所跡 ログハウス風休憩所 丸山公園でお昼休憩

 休憩後、義仲の硯水を通り急な階段をエッチラ登ると直に御嶽神社に着いた。境内には個人が奉納されたと思われる信仰の証としてなのか、立派な石碑などがズラリと並んでいた。御嶽神社からは遠くに小さく雲が掛かった御嶽山を微かに望むことができた。鳥居峠の名前の由来は御嶽神社の鳥居から付けられたらしい。古人(いにしえびと)のように旅の安全を願い神社を後にして鳥居峠に向かう。お腹も満たされ、いい所まで進んで来たので一節しか歌えない木曽節が調子よく口から出た。
奉納されたのか立派な石碑群 御嶽神社からの御嶽山 御嶽神社

 そんな私に睨みを利かせた道祖伸が気を抜くなよと見送ってくれた。「子産みの栃」という伝説の古木があり、説明によるとトチノキの空洞に捨子があり、子宝に恵まれない村人が育てて幸せになったと言う。その木の皮を煎じて飲めば子宝に恵まれるらしいがもう必要ないかな。
 お六の櫛の原木ミネバリの看板があるがどれがそれなのか分からなかった。そこに林道が交差していて地図で道を確認していると、工事車両が止まっていて運転手の人が親切に道を教えてくれた。お礼をしたが、地図の方を信頼して鳥居峠に向かう。
 間もなく鳥居峠と刻まれた新しい石柱が立っていた。やったね!でも50年前の写真を見るともっと明るい眺めの良いところに立っていたようだった。林道などができて50年の歳月が街道を変えたのかな。  
 見送ってくれた道祖伸  子産みの栃に子宝を願う  ついに来た鳥居峠

 進むと先程の林道の続きに下りる。そこにもログハウス風の綺麗な休憩舎があり脇には山からの湧水がドードーと流れ落ちている。地図によるとそこが峠の茶屋だったようです。
 案内に従って林道と別れ街道の下り道に入る。昨日は雨だったようで、砂利道に雨水が流れたのか溝を作っていて少し歩きにくい。
 街道には幾筋も沢が流れ落ちていて幾度も幅広の安定した木の橋を渡る。
 傾斜が落ち着いた所に一里塚、中の茶屋跡が有った。進むと葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれるようになったとの場所を通った。戊辰戦争の古戦場で500余命の戦死者で谷が埋まる程だったと説明がある。恐ろしい話だ。
 そのあと右手展望台に上がる所に、何とも慈しみの優しいお顔の石仏が有りました。戦死者の慰霊の為の石仏だったのか、または疲れた旅人を癒す為の石仏だったのかも知れません。
 峠の茶屋跡の休憩舎  一里塚  癒しの慈しみの石仏

奈良井宿まではあと少し下るだけです。最後も古の人々が踏んだのであろう石畳の道を踏み「中山道鳥居峠越え」を締めくくりました。あとはのんびりと、奈良井宿の町並み見学となりました。
奈良井宿に下り立つ石畳 疫病を鎮めた鎮神社 奈良井宿の町並み①

 奈良井宿入口にある鎮神社は疫病を鎮める為に千葉の香取神社から主神を招き祭祀を始めたと有ります。
 奈良井宿で千葉からの修学旅行生に会い、この地を選んだ理由がなんだか分かった気がしました。ここが日本文化遺産に指定されている事を知って、豊かな自然と文化を共存させる事を引継いで行って欲しいなと思いました。私自身も昔、何となく訪れた時に感じなかった事を今回歩き、初めて知った事が沢山ありました。
 町並みを歩きお六の櫛を求め、旅の疲れを癒す茶屋ならぬカフェで甘いものを頂きました。私は五平餅とコーヒーを注文して、五平餅をパクリ!ん⁉なにこの味噌のピリ辛は?どうやら山椒味噌でした。その後飲んだコーヒーは味が良く分かりませんでした。お六櫛はミネバリ・あかね・つげの三種の木から作られていてミネバリ(峰張)とはオノオレカンバとも言われとても固い木らしいです。お六の櫛で髪つややかになりますように。
奈良井宿の街並み② マリア地蔵庭園  中山道鳥居峠越え案内図

 京都から江戸へ向かう街道は行き交う人々と共に物品、技術、文化などが交わり広まって行ったのでしょうね。そんな中で奈良井宿にマリア地蔵庭園の看板が目に入りました。こんな山深いところにもキリスト教が伝わり隠れキリシタンがいたのかと驚くとともに、今回の山旅で一番印象に残った事は豊富な水です。河岸段丘がもたらす豊富な水資源は宝物ですね。
 50年前に一人では感じなかった事を一緒に歩くことができて旅は道連れをしみじみ感じ味わいました。