≪紀行文≫ |
|
|
〜〜〜4年振りに復活したスキー部の遠征に参加〜〜〜 |
「昔はヨッパラやったもんだ!」と吹聴するが昔というのは50年も前の事です。
愛用の板はオガサカスーパーGF、その次はunitySSで、これらのスキーを履けばデモンストレーターの様な滑りが出来ると信じ込んでいました。
以来スキーからは遠ざかっていましたが、一昨年仲間に誘われ初めて短いスキーで滑る機会がありました。
その後、諸事情により全く初体験のBCメンバーに加わり、今回はスキークラブの一員となって初参加させて頂きました。
[一日目〜足慣らし編]
定刻に新潟駅南口を出発、25人乗りのバスに参加者15名がゆったりと座って国道113号線を山形へ向かいました。
ホテルの前は直ぐゲレンデです、スキー場が広すぎるため単独行動はできません、3班編成に分かれスキー場を知り尽くした班長に付いて滑りました。 |
|
|
|
|
私は初めてのスキー場でもあり詳しいコース名は説明できませんがガラ空きのゲレンデを思いっきり滑る事が出来ました。 |
|
|
ゲレンデ中腹の樹氷高原駅付近ではミニスカートの外国人が樹氷をバックにしてVサインで写真に納まっています。 |
|
|
|
スキー場と言うのは真っ黒に日焼けした無精ヒゲのおじさんがリフト券に鋏を入れるものと思い周囲を見渡しましたが全てICの自動改札でした。
スーパーの自動精算レジの様なもんだ、と納得しましたが仲間から「こんなのは10年も前からだ」と言われ「俺はトニーザイラーの時代だから」と返すのがやっと。
(95) (53) (96) |
|
|
|
青空の下で太腿がブルブル痙攣する程滑ってホテルへ戻り、温泉で充分に暖まって楽しいミーティングに臨みました。
少々のアルコールを飲みながら今日の反省と明日の日程説明で大いに盛り上がって本番の夕食会場へ向かいました。
[二日目〜冒険編]
二日目は濃い霧がかかって見通しはイマイチですが滑る姿も顔も見えず「霧の中の少女」状態です。
足慣らしは昨日終わったので今日は最大斜度38度の「横倉の壁」に挑戦しよう、と言う事になりました。 |
|
我が班は7人です、班長判断で万一に備えサポート隊を残して特攻隊員が選抜されました。
サポート隊は救護、拍手、記録の任務を担当していよいよ滑降開始です。
「上体は谷に向けたままコブで膝を抱え込んで蹴り出せ」と班長の指示が飛びましたが果たしてその通りに滑ったかどうかは大いに疑問です。 |
|
|
|
幸い救護班の出動も無く無事に滑り下りたと言うか下まで降り着きました。
サポート隊は「コブからコブへまるで蝶々みたいでしたよ」と言いたかったのでしょうがなにせ口数の少ない人達ですから 、、
横倉の壁を滑った事に自信を持った「霧の中の少女達」は今度は無謀にもMax30度のクレージートラバースに挑戦しました。
しかしここでも蝶の様に舞ったかどうかは読者の想像にお任せします。
|
大笑いしながらホテルに引き上げてゆっくりと温泉に浸かり楽しかった話題に盛り上がりながら帰路のバスに揺られました。
度重なる事前調査や関係方面との連絡調整に当たって頂いたリーダー、そして班長、会計担当に感謝します。
[追伸]
今回は参加者数がギリギリでしたが何とか貸し切りバスをチャーターして経費も当初の積算より大幅に下回りました。
4年ぶりに復活したスキークラブの活動は今後、泊りの志賀高原、尾瀬岩鞍、栂池、日帰りは胎内でそれぞれ計画されています。
参加人員にはまだ余裕があるそうです、詳細は楽山だより11月号の3頁に記載されていますので担当リーダーに問い合わせて欲しい、との事でした。
「私をスキーに連れてって」「仲間とスキーに行きましょう」 シーハイル!! |
|
|