≪紀行文≫ |
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〜〜〜戦国のお城と中山道を歩いて〜〜〜 |
数日前から寒気による大気の不安定を心配していましたが、おおむね好天に恵まれ先代の世に想いを馳せるには申し分ない二日間でした。 《1日目》
岡リーダーより、「行きたい城ランキング」と「行きたい山城ランキング」の発表があり、今回のと岩村城は山城上位ランキングということなので、期待に胸を膨らませバスの窓から「あやしい雲が吹き飛んでくれますように」と願います。
不安定な上空を心配して、早めの昼食を駒ヶ根SAでとりましたが、苗木城に到着すると、真っ青な青空のもと天然の要塞の姿をみせてくれました。花崗岩の大きな岩の上に天守展望台が聳えています。
ゆっくり登ってみると、途中いろいろな積み方の石垣があるのがわかります。天守側からと、城壁だけになった蔵跡や屋敷跡が、画像でしか見たことがないのに「マチュピチュみたい」と呟いてしまいます。本物のマチュピチュの比ではないのでしょうけど、岩場で大きな木が無いからなのかもしれません。よくこんなに工夫して岩と石を組み立てたものだと感心しきり。高いところでも井戸があるから、籠城に備えられます。 |
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苗木城を背に |
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いろんな石組みと巨石 |
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マチュピチュみたい |
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天守展望台の前で |
天守から見る木曽川 |
続いて岩村城。女城主おつやさんの数奇な運命をパンフレットで知って、戦国時代の女性の逞しさと厳しさを現地で感じてきました。
急峻な石垣で近世山城の代表格だそうですが、ここで織田信長が攻略後、武田勝頼が天目山において敗死したとの知らせを受けたという天守の場に立ち、思いを馳せます。
別名「霧ヶ城」を言われていて、なるほど、さっきまで晴天だったのになんと無く雲が増えて、湿っぽさを感じます。案の定、街並み散策終盤には、ほんのいっとき雨がぱらついてしまいました。 |
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ボランティアの学生さんが着物でおもてなし |
岩村城登城中 |
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岩村城登城中 |
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織田信長はここで策略を練ったのか? |
六段壁の前で |
山城は地形を活かして敵の攻撃を防ぐために作られていたのですが、苗木城、岩村城共に明治の廃城令まで続いたお城、戦のない江戸時代ではさぞかし不便も感じていたのでは、、、文句を言っていた家臣たちはいなかったのでしょうか?妄想の中でいろんな人が見え隠れします。 |
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藩主邸 |
岩村街並み |
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岩村街並み |
女城主酒造内 |
温泉付きホテルは快適そのもの。
飛騨牛をはじめ岐阜の赤蒟蒻(鉄分が入っているから赤いとか)、
トマト茶碗蒸しなど珍しいものをたくさん。ビールと地酒「女城主」と
一緒に堪能。 |
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豪華な夕食 |
《二日目》
くっきり晴天のもと、いよいよ中山道歩きです。時代劇に出ている風景がそのままそこにあります。全てこじんまりして見えるのは、身長が今と違うのと、欧米系外人さんが多くて混み合っているせいでしょうか、時代小説好きにとっては堪らない空間です。
江戸時代の旅人になった気分で、馬籠から妻籠まで約8km、歩きやすい楽しい道中でした。途中すれ違うのは、ほとんど外国の方たちで、日本語で「こんにちは」と笑顔で挨拶をかえしてくれます。外国の方々はザック持たず短パンタンクトップなどの軽装の方が多かったようでした。東京、京都の並びで気軽に来ているのでしょう。
江戸中期の茶屋にてお茶のサービスがあり、来訪者記録の黒板に国旗と国名がチョークで書きこまれてたので、となりにしっかり新潟市31名と付け加えてきました。 |
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馬籠峠にて |
歩きやすい街道 |
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歩きやすい街道 |
茶屋で一服 |
昼食は筍釜飯と山菜セット。とってもおいしかったのですが、ホテルの朝食(名物ほうば味噌焼きなど)で普段よりたくさん食べてしまい、釜飯の3分の2はパックにしてお持ち帰りとしました。
しかしながら、やはり中山道歩きには五平餅はつきものと、全くお腹空いてなかったにも関わらず別腹へ。焼いた甘味噌味が香ばしくて予想以上においしかったです。
暫く食事制限すればと自分に言い訳して。満腹感と満足感いっぱいで、遠い新潟までの帰路につきます。 |
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釜飯セット |
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食べかけの五平餅 |
満腹感いっぱいで帰路へ |
≪出会った花≫
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