≪紀行文≫ |
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〜〜〜開園150周年の白山公園〜〜〜 |
選りすぐりの晴れ女晴れ男が参集したようで、穏やかな小春日和になりました。今日のミッションは「開園150周年の白山公園再発見」です。
(俳句)開園は明治六年石蕗の花
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ガイドさんの挨拶から |
ハーイ!集合 |
初めは梅園から |
「新潟古老雑話(鏡淵九六郎編)」を読むと、維新後の柏崎県と新潟県の統合は「力だめしの角力の勝ち負けで決まった」とか嘘のようなホントの話がいろいろ出てきて興味がつきません。
34才の少壮気鋭の外務官僚だった楠本正隆が明治5年に県令として赴任すると先ず、「町民は競って文明開化を望むべき」と教諭文を布告し、矢継ぎ早に諸改革とインフラ整備に着手しました。
(俳句)新潟城ありしを伝ふ冬の宮 (俳句)千両や県令様の御ん姿
(俳句)万両や明和義人の顕彰碑 (俳句)勤王の志士にして医師碑の小春
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お城はこの辺にありました |
日本一巨大な碑です(竹内式部碑) |
明和の町民運動家たちの顕彰碑 |
《諸改革とは》・柏崎県の併合と県会の開催。警察を整備し一種の軽犯罪法を施行して風俗を改めました。断髪の強制は「越後ざんぎり」と呼ばれました。私立病院の建設、医学校、新潟学校、師範学校の新設、道路や街灯の街並み整備、川蒸気船の創設、白山公園の設置、第四国立銀行を設立、洋風建築の奨励等など。
(俳句)狛犬を埋づめし獅子の山眠る (俳句)帆柱のごとく雪吊美しき
(俳句)その昔美由岐賀岡の冬の景
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絵になります(新潟県政記念館)) |
小春日和になりました(芸術文化会館前) |
明治45年の碑(美由岐賀岡碑) |
「官尊民碑」の風潮が当たり前だった時代に「市民が自由に役所へ出入りでき、役人と対等に話ができる環境を整えるのが先決」だとして役人に対して大ナタを振るったらしい。
腰が低く小才が利く人で且つ要所要所を強権的に推し進めました。新潟の人々が勉強家だと知り、頭ごなしでなく、自分で考えさせるように商人に仕向けて育てたといわれます。
相当な反発もあったでしょうが、やがて町民に、役人部下にと信頼を集めました。大蔵卿の大久保利通から「天下一の県令」と賞されました。 |
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楠本県令の立ち姿の前で |
ラヂオ塔と雪吊の水鏡(蓮池) |
獅子山の獅子とは |
在職3年という短期間に様々な成果を上げた楠本県令の諸改革の政策の実現を契機として、真の新潟の近代化がスタートしたといわれています。
イザベラ・バードが新潟に来て先ず「何と清潔で美しい都かしら」と言わしめたのは一番の楠本県令の功績かもしれません。
(俳句)水ぐらりうごく所に冬の鷺
(俳句)ちょとリッチ忘年会やオーベルジュ
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ガイド氏の熱弁を聴く(燕喜館) |
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大正硝子が美しい(燕喜館) |
置物だと思ったら本物サギ(燕喜館) |
結構なお点前でした(燕喜館) |
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初めて入るワクワク感!(オーベルジュ古町) |
ちょっとゴージャス(オーベルジュ古町) |
Iメインディッシュです(オーベルジュ古町) |
今日はTリーダーさんのおかげで白山公園の成り立ちや新潟の街の近代化の裏話を知り、又、大いに勉強させてもらえました。
ありがとうございました。(おわり) |
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集合写真 |
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