会山行紀行文 2023年
1/10(火)
曇り
新潟花街あるき@
参加者 (紀行文) 2052 M/T
No−T01  グレード:E 23名
 担当リーダー 2052 M/T (男性0名・女性23名) (写真) 2052 M/T
≪コースタイム≫
NEXT21(9:50-10:00)…新潟大神宮…白壁通り(旧斎藤別邸・北方文化博物館新潟分館)…イタリア軒…鍋茶屋通り(鍋茶屋)…東新道通(市山流宗家宅・かき正)…東堀9割烹「大善」(12:30-14:00)
≪紀行文≫
〜〜〜新潟花街あるき、その第1回目、盛り沢山です〜〜〜

 初トレッキングは新潟花街あるき、その第1回目です。朝から雪が舞う寒い日となりましたが、さすが楽山会の皆様、元気に集合です。4班に分かれ、シティガイドさんの案内で町あるきの始まりです。

 NEXT21の西堀脇に、歌人で弁護士だった平出修の歌碑があります。この辺はよく通るのですが、ガイドさんの説明があって初めて気が付きました。「柳には 赤き火がかかり わが手には 君が肩あり 雪ゆる 雪ふる」とても素敵な詩です。
 昔の西堀の写真には「西堀も東堀も、きれいだったよね!」「覚えているよ!」など昔話で盛り上がりました。
 西堀の正福寺へ、新潟で初めての西洋医療、種痘が行われた「施蘭薬院」があったそうです。

 南浜通には、宣教師で医師であったパーム氏が病院を開設した洋館が残っています。イザベラバードはパーム氏に会うために来日したそうです。ここからイザベラバードの冒険が始まったようです。
 新堀通りには、会津八一が10年間暮らし終焉の地となった北方文化博物館新潟分館、坂口安吾の生誕地の碑のある新潟大神宮と新潟が誇る文人の足跡をたどりました。
 平出修の歌碑  懐かしい西堀の写真  施蘭薬院の碑
かつてのパーム氏の医院 会津八一終焉の地 坂口安吾生誕地の碑

 趣のある石畳の白壁通りには、湊まちの繁栄を支えた豪商の館・旧斎藤家別邸、新潟で最も古い料亭の行形亭があり、優雅で風情のある街並みになっています。行形亭から小路一本隔てたところには、かつては新潟刑務所がありました。それで、この小路には「地獄極楽小路」と名が付いています。高級料亭と刑務所、「まさに言い得て妙!」の命名です。
 イタリア軒通り入り、この近辺に住んでいたことのある蕗谷虹児の花嫁人形の歌碑を見学しました。

 創業当時は、瀟洒な洋館と料理の味で「新潟の鹿鳴館」と言われたイタリア軒、最上階にはビアガーデンも開かれていたそうです。その頃は新潟の風景が一望に見えたとのこと「タイムスリップしてみたいなぁ!」。新潟市街角歴史案内の絵には、華やかだった花街文化の様子が描かれています。4つの橋の上で踊る絵に「お祭りの時、この橋の上で踊ったことあるよ!」と、懐かしい話が出ました。
 六軒小路を通り東新道通(鍋茶屋通り)へ向かいました。
 正月飾りの旧斎藤別邸  国登録有形文化財の行形亭  花嫁人形の歌碑
「新潟の鹿鳴館」イタリア軒 新潟市街角歴史案内の絵 情緒たっぷり六軒小路

 華やかな風情や意匠を凝らした建物が残る東新道通から鍋茶屋通へ。この界隈は古町花街の雰囲気が多く残っています。新潟市の無形文化財第1号の市山流宗家宅、多くの歌人が訪れたかき正、国の有形文化財になっている鍋茶屋などを見学しました。

 コースの最後は割烹大善で昼食。
 花街あるきの〆は、芸妓さんの踊りの観賞と歓談を行いました。「芸妓さんに会うのは初めて!」という方が多く、留袖さんと振袖さんの違いを聞き、鬘の重さは?お化粧は?着付けは?などザクバランの話で盛り上がりました。約200年の歴史を誇る芸妓文化の一端に触れ貴重な体験になりました。
歌人が集ったかき正
市山邸の矢羽根の目隠板 昔は待合、今は喫茶店も
元は小唄の師匠宅 国登録有形文化財の鍋茶屋
留袖さんと振袖さん 割烹大善で集合写真