≪紀行文≫ |
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〜〜〜思い出に残る出会いが〜〜〜 |
≪7月3日(日) 斜里岳(曇り)≫ 二日目は知床半島の付け根に位置し、釧路支庁と根室支庁との境界に聳える広大なすそ野をもった斜里岳に登る。
天気はガスが白く覆っていて曇っているが雨具の着用は不要のようだ。
清岳荘登山口の駐車場には7時すぎに到着した。
すでに広い駐車場には全国各地から、また地元北海道のナンバーを付けた車も数多く見られた。
各人登山準備を手際よくすませ、ストレッチが終わると班ごとに点呼の後出発する。
清岳荘管理人のおばさんの見送りを受けて、すぐ横にある登山者名簿の記帳台のあるところから登山道に入り、暫く樹林帯の中を歩く。
樹林帯を抜けると一の沢川登山道まで林道歩きとなる。
斜里岳頂上3,6Kの標識板を横目に見て登山道に入り、すぐに一の沢川の渡渉が始まる。
沢の水量は特別多くはなかったが流れの勢いがあるので注意しなければならない。
このルートは、一の沢に沿って飛び石伝いに右岸左岸と何度も何度も渡渉を繰り返しながら遡って行く。スリルがあって渡渉もまた楽しいものである。
マーキングされた石や枝に付いている標識テープを見逃さないように、また水に濡れても滑りにくい石だったので一歩一歩確実に歩を進めていけば沢に転落する心配はなかった。 |
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各自登山準備をする(Y/N) |
清岳荘登山口から登山開始 |
一ノ沢の渡渉を何回も繰り返す |
16ヶ所の渡渉を全員無事に終え、下二股の小屋跡に着いた。
下二股は旧道と新道の分岐点になっている。
計画は、ここから旧道を登り下山は新道の予定だったが、リーダーからの説明で新道をピストンすることに変更した。
下二股からは急登の長いジグザグコースをやっとの思いで登りきると熊見峠に出る。 |
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下二股(Y/N) |
下二股から新道を進む(Y/N) |
能見峠(Y/N) |
ここからは緩いハイマツ帯の稜線歩きが旧道と新道の合流点上二股までつづく。
上二股から馬の背までガレ場の「胸突き八丁」。
山頂へは目前の急な尾根を砂礫の登りになる。風が強いため口の中がジャリジャリするくらいだ。
斜里岳の山頂にやっとの思いで立つことができた。きつかったなぁー。
ガスがかかる山頂にはケルンが立ち、ケルンには斜里岳頂上1549Mの銘板が付いている。 |
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上二股(旧新道合流点)(Y・N) |
急な尾根を砂礫の登り(Y/N) |
斜里岳山頂(Y/N) |
集合写真は、山頂でお会いした“釧路山遊会”の播磨谷さんという方にシャッターをお願いした。
播磨谷さんは、7名のパーティーで山行に来ていた。赤ヘルを被って如何にも山男といった風情のある方で、山頂で私たちに向かって大声で“新潟楽山会”バンザーイを三唱してくれた。斜里岳は特に記憶に残る山行になった。
山頂からの展望は特筆もので、北は斜里平野の向こうに広がるオホーツク海、東は知床連山の山々と太平洋、西はサロマ湖と屈斜路湖、そして南は摩周湖、阿寒山系が見渡せるという感動的な眺望絶景のはずだったが、ガスに覆われた白の世界ではそれも叶わず残念無念。
お昼は馬の背まで下りて摂ることにした。
山頂直下に金属で作られた鳥居と祠が建っている。これが斜里岳神社である。鳥居にはきちんと注連縄が張られている。登山の安全を祈ってお参りをする。 |
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山頂直下の斜里岳神社(Y/N) |
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山頂での集合写真 |
馬ノ背 |
腹ごしらえができるとあとは下山準備をして、元来たコースを下るだけである。急坂を登ってきただけに下りは注意が必要である。
胸突き八丁馬の背直下のガレ場、熊見峠を越えて下二股までの急坂、一の沢川の下りの渡渉も注意しながら全員無事に下山。
今夜の宿、ウトロの“知床ノーブルホテル”へ急行する。 |
≪斜里岳登山中に出逢えた花々≫ |
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≪釧路山遊会 幹事長 播摩谷 俊達 様 から頂いたメール≫ |
新潟楽山会様
7月3日(日)斜里岳でお会いした、釧路山遊会 播摩谷と申します。
斜里岳の頂上でお会いいたしました、赤ヘル、赤ザックの男で、最後はカメラを紛失
一緒に捜していただきましてありがとうございました。
その後羅臼岳はいかがでしたか?皆さまのパワーに皆感心しておりました。
「すごい、すごい」連発です。
我々の山遊会も30名ほどの会ですが、釧路山岳連盟に所属し釧路の中では一番
会員数は大きいのですが、高齢化などで最近は減少し山も近郊の山、大雪へと以前は
日高の沢、知床の冬と活発でしたが、日帰り登山にシフトし斜里岳も今回は時間
オーバーで楽ではありませんでした。
安心安全登山を最近はモットー楽しんでおります。
皆様に北海道の山を楽しんでいただき、大変うれしく思っております。
釧路山遊会 幹事長 播摩谷 俊達
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