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明かりが見えホットする |
林道歩きも終わりかな |
原生林に囲まれた湯ノ島小屋 |
湯ノ島小屋の先にある登山口には、しめ縄が張ってある。どうやらこの先は結界入りになるようです。心して・・・。
あし沢にかかる橋を渡り、いよいよオンベ松尾根の取り付きになります。
しばらく急登が続きますが、その後、傾斜は緩くなりブナ林の尾根歩きです。 |
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しめ縄が張られた登山口 |
単管橋を渡って |
これよりオンベ松尾根に |
今夜の宿泊は月(がっ)心(しん)清水です。少し傾斜はあるが幕営スペースは十分、テントを張って早めの夕食開始。
メニューはS氏特製の豚汁にソーメン。これがまた美味しい!! 少々重くっても担ぎあげたアルコールで乾杯!! 明日の無事を祈って早めに就寝です。
次の日は、錦糸卵入りもち雑炊で力をつけ、夜明けと共に出発。お天気も今日の山行を応援するかのように快晴です。 |
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月(がっ)心(しん)清水の石仏 |
夕食はお楽しみ一杯 |
特製力もち雑炊 |
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≪9/21≫
一服平へまでは急登の連続、ロープにつかまり、時には木の枝をつかみの登りに汗が流れます。
上に登るにつれ飯豊の山並みが、すごい! ど〜んと大きく圧倒されます。
一服平でゆっくり休み、早川のつきあげの登りに備えます。 |
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これから向かう一服平から早川のつきあげ |
ロープ場も幾つか越え |
朝日に映える飯豊の山並み |
大日岳の前衛、牛首山はまだまだ遠い。まずは早川のつきあげまで、急登を我慢して登ります。
ようやく出た早川のつきあげ、目に飛び込んできたのは西斜面に広がる紅葉。思いがけないご褒美が待っていました。 |
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一服平にある碑 |
牛首山は遥かに |
早川つきあげへの急登 |
これよりしばらくは快適な稜線歩き、ハイマツと花崗岩、そして紅葉のコントラストが何ともいい感じです。でも、喜んでばかりはいられません。結構な高度感のある稜線続きに、頻繁に出てくるクマの糞と、危ない、危ない、足元注意!! |
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紅葉の稜線歩き |
秀麗な牛首山 |
紅葉に染まる西斜面 |
牛首山を越え、いったん牛の首鞍部へ下ります。
ようやくこの頃になって大日岳が見えて来ましたが、山頂は雲の中。あと1kmの標識に元気をもらい、標高差約200m、大日岳へ最後の登り、しばらくは右手へのトラバース。 |
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高度感満点、稜線歩き |
いたる所にクマの糞 |
姿を現した大日岳 |
山頂はなかなか、この峰も越えなければ、時には岩越えも、さすが大日岳、甘くはありません。草付きの急斜面を登り、ようやく大日岳山頂。ヤッター!! 「大日岳」で「大の字」になり、登れたことの喜びしっかりと味わいました。 |
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あと1kmにホットして |
岩を乗り越えて |
もうすぐ山頂 |
帰路、ようやく雲が切れ、大日岳の全容が見えました。デッカイです。あそこに登れたことに感謝しつつの下山です。
山はもうすっかり秋の色、足元に注意しつつ無事、月心清水のテント場へ。 |
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姿を見せた大日岳 |
秋の色 |
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紅葉を歩く |
帰りは往路と同じく長〜い林道歩きを経て無事に帰ることができました。私と連れ合いだけでは到底行けないコース、誘って下さって感謝です。思いがけない山の財産ができました。
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≪後書(2084 S/S)≫
当初は来年度の山行計画下見を兼ねて谷川連峰馬蹄形縦走を予定していたが水上地方の天気予報が男心のように毎日変わり当てにならない。ならばと予定を変更して下見をしながら悪天候続きで順延していた大日岳ピストンと決めたが快晴に恵まれ大正解であった。
個人的にも飯豊連峰で大日岳のみが未踏峰であったので大満足であった。
「夕食メニュー」
昔風なペミカンにヒントを得て肉を炒め味噌と隠し味でからめ、野菜類はボイルしていずれも業務用アイスの箱に小分けして冷凍してから真空パックにして担ぎ揚げた。肉は傷まず、野菜は圧縮され調理時間も短縮され大変好評であった。
「朝食メニュー」
α米を前夜のうちに水を入れ、味噌汁を作り味付けをしてから火を止めてスライス餅と金糸卵を放り込んでかき回して完成。
追伸:オンベ松尾根の名前の由来が気になって調べてみました。藤島玄著「越後の山旅」より
「御幣(オンベ)松(マツ)尾根、次郎新道は、前川を遡行中に遭難した実川部落の猪俣次郎青年が、この伐開に先頭となって努力した記念の命名 で、彼は前に僧籍にあって月(がっ)心(しん)と称したので、月(がっ)心(しん)清水も同じくそれである。この道は、国立公園指定後の伐開で、尾根 は地図の記載より緩く長くて、小さく曲がっているが、主稜線まで簡単な一本尾根である。
御幣(オンベ)松(マツ)は、今は根株を残すだけだが、目立って大きい姫小松であったように、頂陵部は太い姫小松と?が混成して続く。」
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