会山行紀行文 2014年
 11.19(水)
晴れ
(ちくにかいどう)
千国街道・塩の道
815m(百体観音)
参加者 (紀行文) 1862 Y/I
21名
(男性8名・女性13名) (写真) 1862 Y/I
(松沢口800m、最高点(百体観音)約815m、小谷村郷土館500m)
≪コースタイム≫
新潟駅(7:30)=糸魚川IC=小谷村松沢口(10:40)…前山百体観音(10:55)…牛方宿(11:20-30)…弘法の清水(11:35)…親坂石仏群(11:47)…千国番所跡(昼食12:00-13:00)…源長寺(13:15)…大別当石仏群…鍾馗様…三夜坂…小谷村郷土館(14:30-15:00)=新潟駅(18:30)
≪紀行文≫
                         〜〜〜塩の道を歩く! 塩の道・千国街道千国越え〜〜〜

 信州・小谷(おたり) 千国(ちくに)街道・塩の道、どことなくロマンを感じさせるキャッチフレーズです。
 塩の道があることは、山の行き帰りに何度も通っていますので知っていました。
 しかし、あえてそのコースを歩くのが目的のトレッキングに参加するのは初めてでした。

 糸魚川から松本城下まで約三十里(120Km)を結び、信州側で「糸魚川街道」、越後側で「松本街道」と呼ばれた千国街道は、またの名を“塩の道”と言われています。
 戦国時代、上杉謙信がこの道を経て、仇敵武田信玄に塩を送ったという「義塩」の故事に依ったものです。

 日本海からは、塩や海産物、信州からは麻やたばこを積んだ牛馬や歩荷(ボッカ)と呼ばれた人々が盛んに行き来していました。この道がまさに「塩の道」と呼ばれる所以です。
 それは、生活物資運搬のための経済路線、いわば汗のにじんだ庶民の道として明治の時代まで続いたとのことです。

 現在、小谷村(先日大きな地震があった所です)には旧街道を辿る八つのコースがありますが、今回歩いたのは、その中で歩きやすく、百体観音や牛方宿、千国番所跡などがある一番の人気コース“千国越えコース”です。

 北アルプスの雄大な景色は厚い雲に覆われていて一部しか望めばせんでしたが、天気は上々、21人の仲間たちと一緒にわいわいがやがやと賑やかに歩いて来ました。
白馬村と小谷村の境界近く、栂池高原がスタート地点です。約7Km、3時間超のトレッキングに備えてまずは入念な準備体操です。
しばらく緩やかに登るとすぐに前山百体観音がありました。ここが今日の最高点です。百番零場に合せた観音様たち、お顔が一つ一つ違っていました。 ガイドさんの説明を聞きながら熱心に見入る仲間たち。 こんなやさしいお顔をしています。
往時をそのまま残した塩の道、道幅は背中に2俵の荷を付けた牛同士が安全にすれ違える幅、9尺(約2.7m)になったとのこと。 牛方と牛がいっしょに寝泊まりした「牛方宿」です。唯一現存する建物で、県宝になっています。 藁ぶき屋根には欠かせない囲炉裏の火、村人たちの保存に対する熱意が感じられます。
これはポスターです。往時はこんな具合だったのでしょうね。 塩の道の「標柱」です。随所に案内の標柱が立ててあり案内もしっかりしていました。 弘法の清水で一休み。冷たい水が湧き出ており、牛や牛方がここで喉を潤したのでしょう。
みんな何を見ているのかな? 塩の道にはあちこちに牛つなぎ石や石仏があります。険しい山坂で命を落とした牛馬への感謝と愛情がにじんでいます。馬の供養は「馬頭観音」、牛の供養は「大日如来」だそうです。 千国番所跡(松本藩の関所)に着きました。ここでお昼です。地元のおばちゃんが作ってくれた豪華なお弁当を頂きました。 ボッカの気分で歩く田中駒治さん。力強い馬のようですね。
三十三番観音前で説明するガイドさん。説明を聞くと“塩の道”に一層愛着を感じます。 長い石段を一生懸命に登ります。上にお寺があります。 源長寺です。屋根の形が面白い。
道の辻や、寺社や墓地の入り口などによく置かれ、延命長寿にご利益あるといわれる庚申塔、庚申塚とも言います。“塩の道”でも沢山見かけました。家族以上のつながりとのこと。 信州で良く見る道祖神。 これも庚申塔の1つです。するどいお顔をしていました。


 今回は、千国街道をより良く知るためにガイド付き、地元産の食材の豪華お弁当付のトレッキングでした。


 ガイドさん曰く、新潟楽山会さんは足も揃い、規律の良い立派な山の会ですねと言うお褒めの言葉まで頂きました。                                     おわり
さあ、最後のひと踏ん張り、この先がこのコースのゴール「小谷村郷土館」です。さほど疲れることのない楽しいトレッキングコースでした。