| ≪紀行文≫ |
|
|
| 〜〜〜思い出に残る山旅が出来ました〜〜〜 |
「観音沼」は別名「御手洗(みたらせ)沼」と呼ばれ嶽観音にお参りする際、沼の水で手を清めたことからその名がつきました。周囲1800mの沼には浮島が点在し水生植物や水生昆虫が生息しています。沼の畔には「嶽観音堂」があり御蔵入り三十三観音霊場の十三番札所として、地域の人々の信仰を集めてきました。「はるばると 登れば嶽の 観世音 みたらせ沼に あそぶ水鳥」の(御詠歌)に叙情が伝わる思いがします。
堂の創建は平安時代、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の戦いで命を落とした人馬を弔うために建立、そして江戸初期の寛文3年に尊栄和尚が中興して現在の場所に移転しました。観音堂の建築様式は唐様式の方三間宝形造り、向拝には龍や獅子、鳳凰の精緻な彫刻が施されています。観音山と観音沼の景色は一服の絵を見るように歴史と自然が調和した静寂の荘厳な雰囲気に浸りました。
(俳句)唐様の方三間の冬の堂 枯れ芦の触れ合ふ音や水匂ふ みそなはす聖観音の深紅葉
|

|
 |
 |
| 先ずは参拝 |
冬枯れの小径を |
良く鳴る熊鈴 |

|
 |
おー!!絶景かな
|
 |
| 眼下に観音沼見えたー! |
展望台にて |

|
 |
 |
サクサク落葉を踏みながら
|
木漏れ日の中を |
青空と濃紅葉の美しき |
昼食は道の駅「からむし織の里しょうわ」に移動しました。昭和村喰丸地区の「からむし織」は苧麻(ちょま)というイラクサ科の青苧から繊維を取り出し、糸を積んで撚る伝統工芸で会津藩侯から奨励されました。明治期には越後上布や小千谷縮の上質な原料として商人が買い付けに訪れました。昭和以降化学繊維の普及で需要が減少し衰退しましたが地機(じばた)で手織りして完成までに1年以上も要する高度な技術が見直されて国の伝統工芸品の指定を受けました。ランチの後「からむし工芸博物館」をゆっくり見学しました。
(俳句)雪国のからむし織の居座り機 夜なべしてからむし織の糸を撚る からむしの糸を紡ぎて雪を待つ
|

|
 |
 |
一服の絵のよう
|
野点始まりー |
先ずはリーダーさんから
|

|
 |
| 野点は続く |
 |
山門をくぐり
|
観音沼にて |
午後は昭和村喰丸にある旧喰丸小学校のノスタルジックな木造校舎と校庭にそびえる樹齢120年超の大イチョウの黄落の黄色い絨毯に彩られた幻想的な雰囲気に浸りました。
(俳句)廃校に銀杏大樹の木の実降る しきり降る葉の黄落の下に坐し 黒板に木の椅子机身にぞ入む
|

|

|
方三間の冬の堂
|
 |
| からむしの里とは |
大イチョウの木の下で |

|
 |
 |
窓外を覗けば
|
懐かしき長が廊下 |
昔 懐かしの教室にて |
最後は三島町の道の駅「みしま宿」から数分で行ける絶景スポットです。只見線の列車が只見川橋梁を渡る瞬間を眼下に見て、夕焼けを背景に色付く紅葉の渓谷美は実に感動的でした。
今日は絶好の好天に恵まれ、盛沢山のメニューで思い出に残る山旅が出来ました。
引率のリーダーさんありがとうございました。参加された皆さんもお疲れ様でした。
|
|
|
|
|
|
|
| |