≪紀行文≫ |
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〜〜〜下町風情たっぷりの沼垂の歴史に触れました〜〜〜 |
新潟駅からは近いのに、訪れることが少なかった沼垂の町、シティガイドさんの説明もあり町あるきに期待が膨らみます。 |
新潟駅万代口バスターミナル前に集合。
駅から「沼垂まで〇〇m」とある標識に沿って、ホンポート経由で東地区公民館に到着。ここで4グループに分かれ、沼垂町あるきの始まりです。
沼垂の歴史は古く、奈良時代の「日本書記」の中に「渟足の柵(ぬたりのき)」(大和朝廷の砦のようなもの)として出てくる、古くからの地名です。
江戸時代になると、信濃川と阿賀野川の度重なる氾濫により、沼垂の町は半世紀の間に4度の移転を行いました。現在の位置に定住したのは約320年前。それを記念して建てられた沼垂定住三百年記念碑が、栗ノ木バイパスの脇にあります。 |
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出発前に東公民館集合写真 |
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ガイドさんと挨拶 |
かつての栗ノ木川 |
沼垂定住三百年記念碑の説明 |
御屋敷小路、孫助小路と狭い小路を抜けます。今は保育所になっている料亭「鶴善」跡地に、「鶴善」の養女になり、東京音頭を大ヒットさせた小唄勝太郎の像と顕彰碑があります。ガイドさんに勝太郎の曲を聞かせてもらいました。次は信越線の廃線跡と沼垂駅跡、時代を担った日本石油製油所、その跡地にはメガソーラーが建設されるそうです。栄枯盛衰の感ありでした。 |
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現代調の勝太郎像 |
美人だった勝太郎 |
往時の沼垂駅の説明 |
禁をやぶり、金の網を使って鮭の大助・小助を捕まえ、没落して死に絶えたという「王瀬の長者供養塔」のある法光寺。
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お宝一杯の法光寺 |
2分間で「四国八十八ヶ所霊場巡り」ができる悉地院。
ユニークな「足ツボ増益寿命ロード」がある真善寺、寺町には見所が沢山ありました。 |
「王瀬の長者」伝説
むかーし、むかし。沼垂には、それはもうたいそうな長者さんが住んでいたという・・・。
長者の暮らす村には大きな川が流れていて、そこには鮭の大助・小助という鮭の神が信濃川に住んでいたそうな。この大助が海から川へ上るときには漁師たちは網をかけてはならないという古くからの言い伝えがあった。
沼垂に住むたいそうな長者は、鮭を取って財を為していたが、その禁をやぶり、金の網を使って鮭の大助・小助を捕まえたという。するとこの鮭の神のわざわいにより、長者は没落して死に絶えたという。
長者というと日本の昔話では名主や庄屋さんよりも大金持ちというのが定番。
これは昔話や伝説かというとそうではなく、沼垂周辺には「王瀬の長者」という実在の人物がいたという。
沼垂テラス商店街近くにある弘法大師・空海が開基した真言宗の寺院、法光院には王瀬長者の供養塔が残っている。
長者の暮らした屋敷は広大で、今の新潟市東区にその名残の地名が多く残っているとか・・・。
地図を広げ地名を眺めると当時の姿が想像できる。
・屋敷のあった長者町、王瀬新町、上王瀬町
・物見櫓もしくは高台にあった物見山
・屋敷の門があったところが上木戸、中木戸、下木戸、山木戸
・藤の花を愛でた藤見町
・牡丹の花が咲く牡丹山
・月を眺めた月見町
・宝物殿のあった宝町
・他にも小金町、白銀、錦町と、ここから推測すると藤見、月見といったように名前に風流な地名が多く残る。
これは、やはり都(大和)からの高貴な血筋がこの地にいたということが証拠なのではなかったか。 |
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2分間で「四国八十八ヶ所霊場巡り |
ユニークな「足ツボ増益寿命ロード」 |
仲買市場として使われていた長屋を改装し、生まれ変わった沼垂テラス商店街は、懐かしく昭和の世界でした。
弥彦神社の子供の神様と言われる乙子神社は、弥彦の方を向いて建てられています。沼垂の総鎮守白山神社、社殿の彫刻は石川雲蝶と共作もあると言われる小林源太郎によるものだそうです。 |
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昭和がのこる沼垂テラス商店街 |
乙子神社の奉納絵馬 |
沼垂の総鎮守白山神社 |
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町あるきの最後は今代司酒造です。沼垂の発酵食文化を守り続け200年以上続く酒蔵、改装中で見学はできませんでしたが、試飲と買い物を楽しみました。
バスで「ICHIE(いちえ)」に移動し、パスタランチを美味しくいただきました。ガイドさんの説明もあり、レトロで下町風情たっぷりの沼垂の歴史に触れることができた一日でした。 |
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小林源太郎作の彫刻 |
創業1767年の今代司酒造 |
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