≪紀行文≫ |
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〜〜〜新潟で生まれ育った新潟ですが新たな出逢いが一杯〜〜〜 |
年明け来の大雪もずい分と溶け、久しぶりの晴れ間をみて「新潟の町・坂道めぐり」の地図を手に出かけました。白山公園から日和山まで、砂丘に連なる開化の町並み跡をたどるコースです。
子供の頃から馴染みの白山公園に白山神社です。それを作った楠本正隆像と新潟遊園碑が公園中央の小高い所に設置されていますが、今回、初めてのご対面でした。コロナの影響で、まだ初詣を行っている白山神社にお参りをして市役所に向かいました。
市役所前の2本の老松。江戸時代の初め、白山神社境内から学校町・白山浦周辺は千本松原と呼ばれる松林だったそうです。この老松はその名残で、樹齢800年と地図に書いてあります。いつも何気なく見てきた松の木が立派に見えてきました。新潟大学病院わきの坂には新津会館があります。ここもいつも気になっていた洋館です。冬季は閉館、温かくなったら訪れてみたいものです。 |
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県令・楠本正隆像 |
馴染みの白山神社 |
樹齢800年の老松 |
新潟大学病院の北側に新潟医科大学時代の赤門とこれに続く赤煉瓦塀があります。赤門を入った左手に中田瑞穂の句碑「学問の静かに雪の降るは好き」がありました。道を少し戻り、変則四差路になったところに「しょうこん坂」があります。戊辰戦争の戦死者を祀った招魂社が名前の由来です。いつもは車で通りすぎているので、この坂があることは知りませんでした。上り下りしてみるとなかなか立派な坂です。この坂の上は当時新潟では一番高い場所で、朝日が一番最初に昇るので「旭町」と呼ばれたのだそうです。なるほど納得です。 |
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あさひ通りの坂 |
赤門と赤煉瓦塀 |
中田瑞穂の句碑 |
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しょうこん坂 |
今も残る松林 |
師範学校跡の碑 |
「しょうこん坂」を北に少し行くと、右手に狭い急な階段があります。ちょっと分かりにくいですが、そこを下ったところが諏訪神社、境内には福一稲荷神社もあります。すわ前通りを北に、すぐに営所通にぶつかり寄居中学校前に出ます。校門前に寄居坂の石柱が設置され、ゆるやかに海岸へ向かう坂が寄居坂になります。これも知らなかったです。 |
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諏訪神社 |
福一稲荷神社 |
寄居坂の石柱 |
西大畑の大きな家の間を行くと「どっぺり坂」に出ます。話には聞いていましたが初めて来てみました。坂の上に学生寮があり、坂の下の繁華街に通っていると落第するぞという意味で、ドイツ語の「ドッペルン(2重にする、落第の意味)」にかけこの名が付いたそうです。石段の数は及第点の60点から1点少ない59段。数えてみたら、確かに59段ありました。「どっぺり坂」から新潟カトリック教会の尖塔が見えます。カトリック教会まで歩いてみました。 |
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どっぺり坂 |
異人池の説明 |
新潟カトリック教会 |
西大畑周辺の坂にはお屋敷が多く、旧日銀新潟支店長役宅だった砂丘館、旧市長公舎だった安吾風の館、旧斎藤家別邸があります。残念、どの館も月曜日は休館でした。また機会を設けて訪れてみたいものです。
砂防林の松を植栽するにあたって作られた御林稲荷社。その隣の新潟大神宮を参り白壁通りに出ました。旧斎藤家別邸に高級料亭・行形亭の立派な門構えに、それを囲っている白壁の塀の連なりは古都の街並みのよう。なかなか風情があります。行形亭の隣には、かっては刑務所があったそうです。なんという取り合わせ、この間の小路は地獄極楽小路と呼ばれるようになったそうで、まさに言い得て妙です。 |
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御林稲荷社 |
新潟大神宮 |
旧斎藤家別邸 |
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白壁通り |
地獄極楽小路 |
旧刑務所通用門を模したもの |
日和山通りを北に向かいます。田中町界隈は階段や坂が多く、幾重にも階段が重なっているなど見どころがあります。あとは、薬王寺までひたすらの歩き。隣の日和山共同墓地を過ぎ、日和山はもうすぐです。ようやく前回、「下町めぐり編」で訪れた日和山に到着。 |
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幾重にも重なる階段 |
薬王寺 |
日和山にゴール |
新潟で生まれ育ったのに、新潟の成り立ちや歴史は知らないことばかり。今回、歩いてみて、少し切れ切れだった新潟のことがつながったようです。一回目の歩きで、見落としもありました。時間的にも行きやすいので、また、訪れてみたいと思っています。晴れ間を見て、山へはちょっとという時に「町あるき」はお勧めです。 |
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「町あるき・マップ」の手に入るところ:
・ほんぽーと(新潟市中央図書館)、みなとぴあ(新潟市歴史博物館)
・クロスパル(中央公民館)、市役所まちづくり推進課(古町ルフル5階) |
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