≪紀行文≫ |
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〜〜〜有意義で歴史の現場が学べる感謝の一日でした〜〜〜 |
長野県善光寺平には幾つもの古墳が発見されており、それらは尾根の上や山の上に在り、概ね4世紀から5世紀にかけての古墳時代のものとみられています。 |
今回はそのうち「森将軍塚古墳」と「有明山将軍塚古墳」へのトレッキング山行でした。以前から訪ねたかった場所なので、期待感一杯での参加でした。
当初の予定日が雨のために一日延期しての実行、これが大当たり!、最高の秋日和を、大勢の仲間と一緒に楽しむことができました。
大型バスでの移動、コロナ禍の為に車中の会話は控えなければなりません。リーダーが用意してくれた「日本百名山」のDVD鑑賞のお陰で、会話は無くても退屈なしの移動でした。
更埴ICで高速を降りて間もなくの「科野の里歴史公園」から歩き出します。
注)科野=しなの。646年の大化の改新の頃から科野の呼称が見られる。長野県は「科野⇒信野⇒信濃⇒長野」と変遷しています。
弥生時代を思い出させる茅葺屋根民家の脇からジグザグにつけられた歩き易い道、道端の白い花(名前不詳)が見送ってくれます。 |
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現地の見取り図です。(クリックで拡大) |
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「森将軍塚古墳館」、尾根上に古墳。 |
準備を整えて、元気よく出発。 |
縄文を感じる藁ぶきの家が並びます。 |
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案内板、山頂まで1.6kmです。 |
清楚な花、どなたも花名が解りません。 |
ジグザグに歩き易い道が続きます。 |
間もなく「2号古墳」ですが、これは金網で囲ってあり外観を見るだけ。
更に進むと、いよいよメイン古墳の「森将軍塚古墳」です。 |
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「2号古墳」、金網で保護されています。 |
メインの「森将軍塚古墳」が見えてきた。 |
古墳の脇を通ります。 |
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間近で見ると大きくて迫力があり、きれいに整備されています。 |
標高130mの尾根上に築かれた全長100m(後円部45m・全方部30m)の古墳は迫力十分!、下山時にゆっくり見学しようという事で、古墳を右手に観ながら更に登ります。 |
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進むにつれて全貌が見えてきました、大きくて優美な姿に見惚れます。 |
「かもしか広場」を越えた先には現れたのは「有明山将軍塚古墳」です。こちらは加工された様子や跡もなく、自然のままの姿を見せています。
ちなみに、この地方では大きな古墳は全て「将軍塚」と呼び、必ずしも将軍が葬られているわけではないとのことです。 |
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心地良い風と共に木陰をゆっくりと登れば、「有明山将軍塚」です。こちらは当時の姿のまま?です。 |
有明山古墳からは本格的な?登山路となりますが、楢林の涼し気な樹林帯であり、時々吹き抜ける涼風にも助けられて楽々と山頂へ。 |
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よく手入れされた樹林帯を歩くのは気持ちが良い。樹木の多くは楢の木でありドングリも拾えます。 |
木々に囲まれた山頂広場、ここで暫くの休憩の後に往路を戻ります。滑りそうな急坂もみんなで声を掛け合って下れば転ぶ人もありません。 |
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標高651mの有明山山頂に到着!。展望はありませんが、写真を撮りあったりしながら暫しの休憩を楽しみました。 |
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山頂広場で暫くの休憩です。 |
登ってきた道を戻ります。 |
ロープの急坂は声掛け合って安全に。 |
順調に下山して、「森将軍塚古墳」の脇の広場で昼食、古墳越しに望む長野市をはじめとする善光寺平の風景は気持ちがいい。
北アルプスはガスのために見えませんが、市街地の周囲には大小の山々があって、手軽に登山できる環境が羨ましく思えます。
(小さな別荘でも持って、夏場はここで過ごしたい・・・叶わぬ夢です) |
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時折りの涼風が気持ちいい。 |
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「森将軍塚古墳」をバックに集合写真。楽しい一日に笑顔がこぼれます。 |
「森将軍塚」まで戻りました。脇の広場で
風景を楽しみながらゆっくりと昼食です。 |
昼食を済ませた後は、充分の時間で眼前の森将軍塚に登って善光寺平の風景を眺めたり、将軍塚の規模の大きさに感心するやら、古墳時代の人々の生活に思いを馳せるなど、各人で思い思いに楽しみました。
登りは古墳の左側だったけど、下山は登った道とは反対の左側を下ります。
急階段や急坂があって油断できませんが、仲間同士の声がけと緑陰に援けられ、順調に全員が無事に下山できました。 |
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将軍塚から善光寺平の絶景を楽しむ。 |
再度登れば、規模の大きさに驚きです。 |
急階段も無事に下って、バスに戻ります。 |
昨日までの雨が嘘のように止んで、今秋最初の日本晴れの下で、古来の歴史を訪ねる事が出来て本当に良かった。
こうした有意義で歴史の現場が学べる企画をされたリーダーに、感謝の一日でした。有難うございました。(おわり) |
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