≪紀行文≫ |
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〜〜〜終焉の地で愛された良寛たずね道〜〜〜 |
良寛たずね道(分水)及び(与板)に参加したところ、良寛に関わる史跡など見聞を深め勉強になり、引き続き今回は良寛終焉(74才)の地(和島)に参加した。
当日は、地元の観光ボランティアの案内で、始めに往時の島崎地区の歴史を聞いた後、晩年の良寛が6年間身を寄せた木村家を起点の「はちすば通り」を散策した。ちなみに「はちすば」の意味は貞心尼が良寛没後に書いた歌集「蓮(はちす)の露」に由来するとのこと。
最初は木村家敷地内にある良寛が過ごし時に40歳年下の貞心尼と語り会った庵跡を訪ねた。
続いて木村家菩提寺の隆泉寺にある木村家の墓地内の良寛禅師墓碑は、亀の型に見える石の配置の上に建てられている。隣には弟の由之の墓もある。
また、寺の庭には良寛が書いた大蔵経碑と托鉢する良寛像が設置されていた。 |
(俳句)万緑の良寛逝きし村たずね
(俳句)栗の花咲く良寛の庵あと
(俳句)亀にのる良寛の墓苔の花
(俳句) 托鉢の良寛像に若楓
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終焉の地案内板 |
庵跡地で説明を聞く |
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隆泉寺 鐘堂 |
良寛禅師墓碑 |
隆泉寺托鉢良寛像 |
その後、宇奈具志神社境内にある石碑を訪ねた。神社境内は風通しが良く良寛は散歩に来ては子供達と「かくれんぼ」などをして遊んでいたと言われ、良寛が亡くなった時にはこの通りに1,000人程の弔問者が来たとのこと。 |
次に妙徳寺に向かい過去には寺でお灸の祭
また、道路を歩いていると途中からは、国上山 がら「肉づき地蔵」を経て道の駅「良寛の里わし の中で各々がランチタイムとした。
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?が開催されていた等の説明を受けた。
を望め良寛も眺めていたのではないかと思いなま」ふれあい広場で樹の下や冷房の利いたバス
(俳句) 人影の見えず石仏風かおる
(俳句) 緑蔭の昼餉アイスに息をつく |
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妙徳寺日陰で説明を聞く |
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はちすば通り標柱 |
肉つき地蔵前の池 |
木陰でランチ |
午後からは、「良寛の里美術館」で館長から説明を受けながら読めないが良寛の書を数多く鑑賞した。 |
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また、署名に「沙門良寛書」「良寛書」の違いについて理解することが出来た。今回併設して横山大観をしのぐと言われた次男竹坡の画を展示している「尾竹3兄弟」の企画展も鑑賞した。
続いて隣接する「菊盛記念美術館」は個人で彫刻等を蒐集した美術館で絵画と主に彫刻の素晴らしい作品を鑑賞し、「良寛たずね道」の有意義な最終回を楽しむことができた。
(俳句) 大青田望む大きな美術館 |
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良寛の里美術館で記念撮影 |
菊盛美術館から望む |
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