≪紀行文≫ |
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~~~北越源平合戦場・白鳥山と要害山~~~ |
北越源平合戦の舞台となった白鳥山と要害山の山行を、会員のKさんから提案を受け実施しました。平家滅亡の後、中条一帯は平家の流れをくむ城氏が納めていました。平家の残党が鎌倉幕府に反旗をひるがえすと共に、城氏も反旗を掲げました。この城氏追討の命を受けたのが加治荘を治めていた佐々木盛綱。佐々木盛綱は平家滅亡のきっかけとなった藤戸の合戦で、源義経に負けぬほど戦果を挙げた武将でした。城氏と佐々木盛綱の戦いは、まさに「北越の源平合戦」になりました。
(俳句)山城の歴史知る旅風薫る (俳句)登山口ひとかたまりの花菖蒲
その北越の源平合戦を思い描き、まずは城氏の拠点となった白鳥山の登山です。
出発前にKさんから「攻める側、守る側の身になって歩いてみましょう。」と指示が出ました。
宮の入りからの登りです。すぐに空堀と土塁が出てきました。これは城氏側の守りの要所、曲がりくねった登山道は弓矢が有効そうです。
登山道はこのところ続いた雨で、ぬるぬる滑る泥道です。時には笹の葉につかまり、ロープを出した個所もありました。この泥道は山城の大きな防御、上から矢を射られたら、攻める側は這う這うの体で逃げるしかない。泥道を体験することで、白鳥城を攻めることの難しさを身をもって知ることができました。
(俳句)山裾の小流れついと川とんぼ (俳句)空堀に倒れゐし木の梅雨茸
(俳句)声と手の援けで一歩登山道 (俳句)青笹を頼りに掴み泥の道 (俳句)辿りつく峯の城跡風涼し
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Kさんの解説 |
宮の入りを出発 |
空堀、土塁の説明 |
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曲がりくねった道は攻撃しやすい |
白鳥コースとの分岐休憩所 |
向かい側に渡ります |
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笹をつかんで何とか |
一番の難所でした |
ようやく山頂に到着 |
山頂ではKさんから城氏や飯角御前の話を聞きながら、タイムスリップしたような気分で昼食をとりました。
下山は予定を変更して追分コースから下りました。空堀が一つ、二つ、三つ、四つと続きます。
追分コースに分けると、すぐに食糧庫に使われたのではないかといわれる洞穴があります。
山城なので勾配が急、一歩一歩気を付けて下ります。「兵どもが夢の跡」には姫シャガが多く咲いていました。
(俳句)泥靴の重き下山や山つつじ (俳句)食料庫らしき洞窟蔦青葉
(俳句)姫著莪の道下山する村真近
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Kさんの説明 |
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三々五々の昼食 |
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東屋でゆっくり昼食 |
白鳥山山頂での集合写真 |
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鳥坂城の説明板 |
空堀は滑りやすい |
一歩一歩安全に |
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洞穴の説明板 |
木々に埋もれた洞穴 |
どろんこの靴はビニールで覆い |
下山途中で、9月のミニ講座の講師をお願いしている飯豊・胎内の会会長の亀山東剛さんにお会いしました。皆さんで「講座、よろしくお願いいたします。」と挨拶しました。無事に白鳥公園の駐車場に着き、バスで要害山に向かいました。
次は、源氏の根拠地になる要害山の登山です。ふもとには盛綱が命を奪った漁師を供養した藤戸神社が祀られています。
神社で説明を受け、要害山へ登りました。こちらの山の方が攻めるには攻めやすいかなと想いがめぐります。標高が低い割には山頂からの豊田の庄(新発田市)の眺めは素晴らしく、源氏の気分で風景を楽しむことができました。
(俳句)蛇五匹出合ふお社戦あと (俳句)参道の二百段古り橅若葉 (俳句)城跡の村静もりてえごの花
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藤戸神社前に到着 |
年代を経た階段と灯篭 |
立派な藤戸神社 |
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奥の院 |
神社の家紋は? |
眺めは源氏の気分で |
≪今回出逢えた花々≫ |
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