≪紀行文≫ |
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〜〜〜天気に恵まれ、紅葉と、キノコと、仲間に恵まれた楽しい山行でした〜〜〜 |
いつかは八十里越を歩いてみたいと思い、ずっと前から興味を持ち続けていました。この古道は、旧下田村の吉ヶ平から福島の入叶津に抜ける峠道で、いわゆる山の頂は通りません。山で言うと、番屋山の南を歩き、守門山塊(大岳・袴岳・袴腰・烏帽子山・刀掛山・黒姫)を右手に見てその麓を歩き、浅草岳の北を歩いて入叶津の登山口まで歩きます。過去の記録からは、歩行時間は休憩を含め10〜12時間、距離はおよそ26km、累積標高差は1200〜1300mとなり、時間と距離はほぼ西蒲三山縦走と同等です。
八十里越を歩くには問題が二つ有ります。一つは入口までと出口からの車の移動の問題、二つ目は道迷いの心配です。今回の山行では、この二つの問題を大白川にある宿にお願いする事としました。前泊を条件に、道案内と登山口の送迎をお願いすることが出来ます。
9月半ばに宿を予約。実施日は11/1か11/8のいずれかで悩みましたが、紅葉の盛りは11/1との宿の主人の一言で決まりました。山行当日の天気予報も晴れが期待でき、雨の心配はありませんでした。
宿を4:00出発の予定ですが5分早く出発して、吉ヶ平に向かいました。樽井橋ではヘッデンを頼りに準備し、5:05に出発です。馬場跡の分岐を過ぎて、椿尾根の乗越を目指しますが、途中では天保古道と現在のルートが交錯している所が数多くありました。古道は馬を通すために出来るだけ平らにつづら折りに切られていますが、現在のルートはこれをショートカットしている事に依ると思います。 |
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5:05 吉ヶ平の樽井橋を出発 |
馬場跡、左:雨生ヶ池、八十里越は右 |
天保古道と現在ルートが交錯 |
1時間ほどで椿尾根に到着し一息入れます。夜が明けてきてヘッデンをしまい、心配したほど寒くない事から一枚脱ぎます。
ここから番屋乗越まではヘつり道が続き、徐々に160m程の高度を稼ぎます。横切る沢はほとんど登山道が崩れていて、ロープを頼りにこれを越えます。この先八十里越の出口となる大麻平のR289舗装道路に出るまで、大小さまざまな沢を同様に越える必要があり、数えはしませんでしたが50カ所は優に超えていたと思います。 |
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椿尾根、夜が明けてきました |
沢を横断、崩れています |
木々の間に、守門大岳が見えてきた |
登山道は所々に並行してもう一本の道がある様にも見えます。先頭で宿の主人から道案内して頂いているので何の不安も無く歩く事が出来、大変助かりました。もう一つ、先頭を歩いてキノコを見つけてくれます。初めてのヤマブシタケを早速見つけてもらい、記念の写真を撮りました。
椿尾根から1時間ほどで、番屋乗越に到着。きれいなブナ林の中の切り通しの様な地形です。宿で準備して頂いた朝食のおにぎり弁当をとても美味しく頂きました。まだ少し暖かい大きめのおにぎりが2個あるので、1個は後にします。 |
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左は現在ルート、右上には古道? |
ヤマブシタケをGET |
7:10 番屋乗越着、軽く朝食 |
番屋乗越までは守門山塊を右手に見て歩きましたが、これを越えると見える景色が一変します。馴染みの粟ヶ岳、川内山塊の青里岳と矢筈岳を山並みの向こうに望む事が出来ました。 |
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粟ヶ岳が見えてきた |
工事中のR289 |
遠くに川内山塊の青里岳(左)と矢筈岳 |
登山道の進行方向には、守門山塊の北東に位置する烏帽子山とその東にある1186m峰=刀掛山が見えます。刀掛山はギザギザした特徴的な山容をしていてどこからでもすぐに判ります。烏帽子山の右側に、既に白くなり始めた守門袴岳とその東に位置する1527m峰=袴腰が時々姿を現してくれます。 |
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烏帽子山と左肩は刀掛山 |
白くなった守門袴岳と袴腰 |
気持ちの良い所を歩きます |
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ケズリ谷地沢の渡渉 |
近づく刀掛山 |
熊の爪痕、分りますか? |
ブナ沢の手前で、熊の爪痕があるブナの木を教えて貰いました。降りるときに爪痕が付くのだそうです。
程なく標高680mのブナ沢に到着。ブナ沢は行程中で最も標高が低い所です。沢幅は1m強程しかありませんが、足を置く場所がなく沢の中に片足を踏み込んで渡りました。 |
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ブナ沢の渡渉、どこを渡る? |
右足の置き場所がありません |
振り返った、ブナ沢 |
高清水沢、空堀小屋跡、空堀と呼ばれる大江への分岐を過ぎると、桜の窟に到着します。両方を高さ3m程の岩に囲まれた岩屋の様です。刀掛山は丁度見上げる位置にありました。正面には1122mの三角の形をした鞍掛山があり、稜線の右手にあるコルが目指す鞍掛峠です。 |
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桜の窟、岩屋の様です |
見上げる刀掛山 |
鞍掛山と右の鞍部が鞍掛峠 |
開けた沢沿いに殿様清水はありました。沢の脇に清水が湧き出していて、柔らかな美味しい清水でした。ここからは、ブナ沢辺りから見た刀掛山の裏側を見ることが出来ます。粟ヶ岳とその左に越後平野が見えていますが、鞍掛峠から先では見ることが出来ない景色です。 |
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殿様清水着、美味しい水でした |
裏側からの刀掛山 |
粟ヶ岳と越後平野の見納めです |
10:15、標高965mの鞍掛峠に到着。八十里越の最も標高が高い所で、これから先の入叶津迄ほぼ下りが続きます。鞍掛峠も切り通しの様になっていて、昔の峠はここよりも少し上に在ったそうです。峠から少し先の斜面で大量のナメコを発見、早速収穫作業です。これもまた山の楽しみの一つです。皆で分散して担ぎますが、それでもザックが重たく感じられました。八十里越は、キノコ採りツアー?の冗談も出る程です.。 |
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烏帽子山(左)と刀掛山 |
10:15、鞍掛峠着、今山行の最高地点 |
大量のナメコをGET |
鞍掛峠を過ぎるとまた景色が一変し、目の前に黒姫が大きく見えています。その右に守門の袴岳が見えていると思っていましたが、袴岳ではなく1527m峰の袴腰の様です。更に右手には烏帽子山が見えます。こちらからの守門は初めて見る展望で、八十里越を歩かなければ見る事ができない景色です。 |
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黒姫と右奥は守門の袴腰 |
守門の袴腰と烏帽子山(右) |
11:10 小松横手着 |
小松横手は、丁度半島の様に尾根が突き出した地形で展望が素晴らしく、こんどは正面に浅草岳が見える様になりました。稜線から少し下がって平らに見えるところが田代平です。
浅草岳の右側にひときわ白くなった越後駒ヶ岳と中ノ岳を望むことが出来ました。その手前は毛猛山塊です。 |
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正面に浅草岳が大きい |
田代平方面 |
右手奥に越後駒ヶ岳と中ノ岳 |
田代平の分岐を右に折れて、田代平に向かいます。宿の主人のすすめで田代平のど真ん中の乾いた林道の上で、至福の時間としました。まだまだ先は長く入叶津のゲート着の予想時間は16:30なので、短めの時間しか取れませんでした。 |
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田代平分岐着 |
田代平のど真ん中で昼食を頂きました |
ザゼンソウ?ミズバショウ? |
12:45木ノ根(八十里)峠着。田代平から峠まではそれ程距離はありません。木ノ根峠は、越後と会津の国堺になっていて、昔馬方は運ぶ荷物の交換をし、越後側からは塩や魚などが運ばれたようです。
八十里越は維持が難しく、その為に天保古道、中道、新道、現在ルートがあり、大ざっぱには木の根峠から会津側で三つに分かれています。現在ルートは峠を越えて松ヶ崎に向かいますが、天保古道は峠から右手の尾根伝いに歩き、沼の平、山神杉を経由して入叶津に向かっていました。
標石には、右叶津16kmとありまだまだ距離がありそうです。 |
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12:45 木ノ根(八十里)峠着 |
木ノ根茶屋跡 |
八十里古道入口、古道は右手尾根へ |
会津側に入ると道幅も広く歩きやすくなるのですが、湿地帯も多く靴はどろんこ状態です。越後側と同様に、沢山の沢が続き、簡単には歩かせてくれません。 |
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道幅も広く歩きやすいのですが、 |
湿地帯も多くありました |
ロープを使って深い沢を渡って登る |
石の祠がある松ヶ崎は展望が開けた場所です。山は沢山見えるのですがどれも馴染みはありません。山肌は雪崩に削られ岩肌がむき出しの所があります。川内山塊の山肌を見ている様です。 |
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13:30、展望が良い松ヶ崎着 |
川内山塊と同じ山肌です |
一枚岩のナコウ沢の渡渉 |
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福島側の紅葉もきれいです |
ようやく大麻平に到着 |
八十里の入口にある電柱 |
木ノ根峠から2時間45分を要して、15:30ようやく大麻平に到着しました。後は舗装されたR289を1時間ほど歩くだけです。福島側だけでも相当な距離がありました。
ここまで道案内して頂いた宿のご主人に感謝です。そしてトラブルなく歩き通してくれた仲間に感謝です。 |
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叶津川の紅葉もきれいです |
16:30、ゲート着、夕暮れです |
17:30宿着、大変お世話になりました |
今日の結果は、歩行時間=11時間26分、歩行距離=26.6km、累積上り=1519m、累積下り=1462m。
今朝八十里越に行く時は、三条の吉ヶ平に送って頂いたのに、帰りはまるで方向が違う福島の只見町に迎えに来てもらいました。田子倉湖の脇を車で走りながら、どうして福島にいるのか直観的に理解できずに不思議な感覚に包まれました。
暖房の利いた車に揺られ、歩き通した満足感と心地よい疲れから、睡魔に襲われました。襲われたのが熊では無くて良かったです。
天気に恵まれ、紅葉と、キノコと、仲間に恵まれた楽しい山行でした。
八十里越は幾多の沢を横切ります。これを昔の人は開削・維持し、馬を通して物資を運んだ事がにわかに信じられません。この峠道を必要とした当時の人の強い思いと強い熱意を感じました。貴重な山行でした。 |