≪紀行文≫ |
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〜〜〜誰にも遇わない古城址巡り〜〜〜 |
最初はコノイリ尾根経由で角田山に登るつもりで出かけましたが、登山口の駐車スペースは既にいっぱいでした。次々登山者が続くのでちょっと敬遠して誰にも遇わない古城址巡りに切り替えたのでした。
出始めは先日出かけたばかりだった弥彦城跡(桔梗城址)にしました。自粛で弥彦村総合文化会館の駐車場は閑散としていました。こんな日に出掛けるのは変わり者でしょう。 |
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桔梗城跡がある前山 |
本丸跡は結構広い |
けまん草の当たり年 |
2番目は道の駅くがみの前を通過してひた走り、大河津分水路の渡部橋を渡った対岸の菅原神社を訪ねました。戦国時代黒滝城主山岸氏の配下の支城として、弥彦の桔梗城とともに両翼の要(かなめ)として渡部城がありました。現在は菅原神社となって山頂に本社、住吉神社はじめ13の摂社と石祠6社が祀られています。
(俳句)山の宮まつはる風のけまん草 (俳句)八重桜河に春鱒遡る頃
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渡部城跡へ |
山頂に本宮 |
八重桜が満開でした |
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神牛が御鎮座 |
碑陰に大正2年4月と |
奥社への石段 |
次に寺泊夏戸の本光寺に向かいました。本光寺は浄土真宗仏光寺派の古刹で、その昔「金証丸」という毒消し胃腸薬を製造販売していました。 和尚さんと親交のあった良寛さんのお礼の歌碑が境内にありました。
「ことしより 君がよはひを よみてみむ 松の千年(ちとせ)をありかずにして 六月十一日 良寛」
本光寺の裏手の山全体が戦国武将志田氏の居城「夏戸城跡」として保存されています。
源為義の三男義広(源頼朝・義経の叔父)を祖とする源氏直系の志田氏は、南朝の新田氏討伐の武功により守護上杉房方から夏戸の地を賜り居城としました。 |
6代定重の時、大太刀を弥彦神社に奉納しました。備前長船(おさふね)作の日本一の長刀で国重要文化財として弥彦神社宝物殿に現存します。
15代目の義秀は直江兼続配下の与板衆として活躍したと本丸跡の由緒書にありました。
(俳句)太々と出し牛尾菜(しおで)に山笑ふ
(俳句)一族の古城の跡に木の芽風
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国上山が堂々と |
良寛禅師ゆかりの寺 |
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夏戸の銀座通り |
古城入口 |
正面門 |
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登城路は険し |
シオデ(牛尾菜)が太い |
由緒書が細かい |
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源氏系譜と重文長刀 |
本丸跡は広い |
ウラシマ草はあやしい魅力 |
下山して寺泊港に戻りました。誰も居ない港に隣る公園で一人ゆっくりとおにぎりを頬張りました。(おわり)
(俳句)うすうすと海境(うなさか)に島春霞 (俳句)潮風のベンチにもたれ春惜しむ
≪ご参考≫角田山コノイリ尾根に咲く花々 |
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山石楠花 |
サンカヨウ |
エビネ |