≪紀行文≫ |
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〜〜〜滝巡りそのAと海抜8b天狗谷の水芭蕉自生地を訪ねる〜〜〜 |
仁箇堤の桜は満開でしたが、花冷えの今朝は寒さが相当にこたえました。
(俳句)花冷の沼は満開花の下
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堤の桜は満開 |
結構広い仁箇堤 |
慶長年間に開基という仁箇の禅寺万福寺の寺領が「天狗山」丘陵地で、今は一山が柿団地になっています。
柿畑は巨大迷路でした。
その一画の海抜8メートルの狭い谷間に水芭蕉の自生地を訪ねました。
(俳句) 木の芽ふく天狗の谷の水芭蕉
高層湿原の尾瀬の水芭蕉や菅名山麓の水芭蕉公園とは、いささか趣を異にした暗い谷間にひっそりと咲く水芭蕉はなかなかに味わい深い場所でした。 |
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禅寺境内の水芭蕉 |
古刹万福寺 |
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天狗谷地図(クリックで拡大) |
稲島への手前を右へ入る |
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ゴルフ練習場のネットを右に見て |
T字路を左折 |
架設パイプの手摺が目印 |
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ひっそりと咲いてました |
暗い谷間の群生地 |
小川のほとり |
次は対岸の稲島登山口から天然記念物の椿谷自然林に登りました。
椿谷の下り口の説明書に「谷底には不動滝と呼ばれる小さな滝があり、その下には不動堂がある。幕末の安政5年(1858)コロリ病(コレラ)が流行した際、巻の文殊院正徳寺別当が護摩を焚き、加持祈祷をした。」とありました。
落差3メートルの不動滝の下の不動堂と、その脇に苔むした「紫燈大護摩供」の記念の石塔に「嘉永三(1850年)庚戌(かのえいぬ)四月」と読めました。嘉永年間は3年後の嘉永6年に浦賀にペリーが来航した頃のことでした。
新型コロナ平癒の御利益にあずかろうと、参拝者が最近増えたそうです。
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椿谷の大ケヤキ |
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不動堂の祠 |
嘉永3年の供養塔 |
落差3メートルの不動滝 |
稲島登山口に戻って次は隣りの伏部集落のごりん石に向かいました。
「ごりん」の由来とは西蒲区役所の説明では伏部村一帯は昔、長岡藩の御用林でした。「ごりん」は「御林」で、維新後は皇室御用林となり明治時代に民間に払い下げされたといいます。
銘木「西山杉」のブランドで全国的に有名になりました。住宅需要で、一帯の杉は殆んど伐採されてしまいました。今は柿団地に一変しています。
(俳句) 下萌の薄れ読めざる芭蕉(はせを)句碑
別荘地の入口に芭蕉の句を刻んだ「ごりん石」と、そこから200メートル先に「ごりん滝」がありました。沢床に下りて見上げると、落差7メートルの堂々の滝でした。 (おわり) |
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ごりん石の芭蕉句碑 |
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落差7メートルのごりん滝 |
ごりん尾根の伐採地 |
ごりん尾根の柿畑 |
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