≪紀行文≫ |
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〜〜〜大いなる期待とロマンが広がります〜〜〜 |
4月5日の新潟日報の記事「角田浜に前方後円墳」には驚きました。
記事文中の「海上からランドマークとなる山上に古墳があり云々」「角田山から角田浜へと延びる尾根先端部。標高は100mあまりで日本海を一望できる」とありました。
角田浜からまず視野に入るのはミラピッド形の城山(点281m)です。「海上からランドマークとなる山」に相当するすのはやはりば城山でしょう。 |
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ランドマークは城山でしょう |
日報1面記事 |
連日載りました |
その尾根、妙光寺尾根の末端部標高100m地点には行ったことがありました。先ずは確認と翌日新潟日報に聞きました。「それが…よく知らないのですよ。」とにべもないのです。代わりにと県の埋蔵センターを紹介されました。
秋葉区の同センターに電話すると、「当館は陳列だけですから…」とそっけないのです。詳しく聞きたければと県の埋蔵文化財行政課を紹介されたのですが、またたらい回しは嫌だから当方で最初に説明して、是か非かを聞いたのでした。「妙光寺の墓地の脇を通り、沢を跨いで急尾根に取り付いたら、ジグザグに100mほど上った地点に小広い台地状の所がありますが、その辺ですか?」「はい。その通り。妙光寺の住職に聞いているから、そこで間違いないでしょう」との返事でした。
ならばと今日、妙光寺墓地に来たという訳です。すでに調査車が駐車中だったので跡を追いました。急尾根を登る途中、スライドした下山者が「橋本先生が来ているよ。」と教えてくれました。ラッキー!グットタイミングー。 |
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墓地の駐車場よりスタート |
墓地を抜け暗い沢沿いを |
「先生来てるよ」って教えてくれる人が |
角田山の前方後円墳の造営年代は4世紀頃とのこと。4世紀とは邪馬台国が滅び大和朝廷が興った日本史上では「謎の4世紀」といわれる空白時代だったのです。角田山にどんな文化を持った、どんな王族が埋葬されたのか。大いなる期待とロマンが広がります。
(俳句)古(いにしへ)の大王の塚下萌ゆる
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前方部はこんな感じ(想像です) |
前方を勝手に想像しました |
後円墳も想像しまして |
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「この辺が棺室に当ります」と |
全体像がこんな感じでしょうか |
先生伐採中 |
調査中の先生方と別れて、城山に登りました。曲輪のように広がった竹林の密藪を抜けると一面の花カタクリの大群生に出会いました。
(俳句)さわさわとさわさわさわと風四月
(俳句) なだれ咲く花かたくりの風にゆれ
山頂からは春霞に霞んで4世紀の原風景は見られませんでしたが、宮の平尾根に合流するまで嫋やかでのどかな尾根歩きが出来ました。
4世紀の墳墓とともに手つかずの自然は残されるべきものと思いました。(おわり)
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茨のとげは痛いが花はやさしい |
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ミスミソウは終盤です |
カタクリ全開 |
今が盛り花かたくり |
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灯台尾根から城山 |
ナガハシスミレは距が長い |
なだれ咲くとは |
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≪歩いたデータ≫(クリックで拡大)
距離7.752q
沿面8.539q
時間4:27 |
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