≪紀行文≫ |
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《10/14》
(俳句)台風過へさきを佐渡へ波高し
欠航明けの佐渡航路は揺れました。国民文化祭の演能に観世宗家一門が来島するのを観ようと始発便は結構混みました。
両津港に着後は午前のうちに佐渡能にゆかりの地を訪ねました。相川の大安寺は初代佐渡奉行の大久保長安が創建した浄土宗の寺です。大久保長安の出自は大蔵流の能楽師で、そのルーツは異相の渡来人という説があります。一門の能楽師と200人の婦女子を引き連れて来島したと伝えられ、島内に能楽を広めた第一人者でした。 |
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外海に出た途端大揺れ |
寺紋は徳川三ツ葉葵 |
逆修塔が有名です |
(俳句)老世阿弥像と伝ふる月の寺 (俳句)伝説の鬼面(べしみ)を蔵す月の寺
次は世阿弥の配所となった泉の正法寺を訪ねました。腰掛石を見ていたら、住職が出てこられて親切にも御堂へ誘って頂きました。
木箱に収められた秘蔵の木彫世阿弥像を見せてもらいました。凛として端正な顔だちの老世阿弥像でした。鎌倉後期の作と言われ県内最古の神事面べしみも見せてもらいました。 |
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山門から町が一望 |
タブの自然林は天然記念物 |
これが世阿弥の腰掛石 |
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県内最古の神事面べしみ |
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和尚さんと(集合写真) |
端正な老世阿弥像 |
(俳句)御配所の陵(みささぎ)濡らす秋しぐれ
正法寺からほど近い黒木御所を訪ねました。承久の変に加担したため遠流となった順徳上皇の行宮(あんぐう)跡は雨に濡れていました。
黒木御所は樹皮のままの木材で造営された粗末な宮でした。周囲に立つ斎藤茂吉や与謝野寛らの歌碑を見て昼食にしました。
観世宗家の公演は午後一番に始まりました。
(俳句)ちちぽぽと笛に始まる秋の能
県知事のあいさつの代読で始まり佐渡市長の挨拶が長々続き、ようやく演能が始まりました。
宗家一門の洗練された演能を見逃すまいと、かぶりつきで見入りました。宗家清和氏の翁姿は小面を被っても声がくぐもらず、流石の名演と感銘を受けたのでした。
開始から2時間ぶっ通しの演能は感動のうちに、あっという間に過ぎました。 |
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金井能楽堂前にて(集合写真) |
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上演中は撮影禁止なので |
放送陣もスタンバイ |
カンパ〜イ! |
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《10/15》
今朝は早起きして6時に宿を出発しました。横山登山口に至る道は複雑で林道国仲北線の分かり憎い地点に登山口はありました。
横山登山口からのコースは距離が長くて倒木が多く、踏み跡よりはましという程度なので地元ガイド氏に付いてもらって正解でした。
比較的緩やかな尾根歩きが続き、初盛ダムからの道と合流すると道は明瞭になりました。
沢を渡渉したところに苔むした石不動を祀る払川に着きました。昔、金北山登拝の信者がうがいして身を清めた場所でした。
暗い樋状の細道を登ると、幅広の尾根に変わり、ブナ林が広がりました。
樹林帯を抜け展望が急に開けて神子岩に着きました。谷を吹き上げる秋風は寒いくらいでした。 |
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横山登山口からスタート |
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渡渉しました |
神子岩にて(集合写真) |
(俳句)湾ふたつ眼下に望む島の秋
これより上は等高線がつまって急登が始まりました。
天狗岩に出ると再び周囲の眺めが広がりました。天気は尻上がりによくなって稜線が近づくと紺碧の空になりました。稜線は紅葉が始まっていました。左に曲がり最後の石段を上って金北山神社に参拝しました。 |
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ガイドさんと一緒に |
急登ガンバ〜! |
山頂は目前 |
(俳句)大佐渡の紅葉見下ろす山の宮
神社のきざはしに腰を下ろしてゆっくり昼食にした後、往路を下りました。
初日は浪荒い佐渡に能を観て、2日目は早起きして金北山神社に登拝してと目まぐるしくも実り多き旅ができました。
参加者の皆さん大変お疲れ様でした。(おわり) |
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1172m3等三角点 |
両津湾が眼下に |
ロングコースも終盤 |
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