≪紀行文≫ |
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〜〜〜疲れも大きかったが、達成感も大きかった。〜〜〜 |
光岳と聖岳の登山を計画したとき、易老渡へと続く自動車道路が崩壊していたと知って愕然とした。車の乗り入れ可能な芝沢ゲートから登山口の易老渡まで約5キロ、帰りはさらに便ヶ島から歩かないといけない。さらに3キロの林道歩きが増える。山中一泊増やしてもかなりキツイ山登りになると覚悟した。
出発5日前だったか、さらに宿から電話があり宿のバスは芝沢ゲート手前の北又渡発電所までしか入れないと言われた。さらに2キロの林道歩きが増えた。もう一つ不安があった。この地域がヒルの生息地ということだった。念のため「ヒル除けスプレー」を2本用意した。
天気予報は晴れの連続、二日前まで現地は豪雨の連続、まあ、なんとかなるだろうと当日を迎えた。
≪一日目 晴れ≫
新潟駅を8時に出発、長いバスの移動で15時に宿に着いた。
お風呂の後夕食、翌日が早いので早く寝た。田中陽希が6月に泊まったばかりの宿だった。 |
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田中陽気のサイン |
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宿の夕食 |
イノシシ鍋 |
夕食風景 |
≪二日目 晴れ≫
宿のバスで北又渡の発電所まで送ってもらった。まだ朝暗いうちにそこから林道を歩き出した。 |
約7キロ歩いて易老渡の登山口に。
その途中でヒル除けスプレーをみんなの足元に噴射した。
そこから急な登りが始まる。標高差1474Mの急登、ダケカンバの樹林帯、ゆっくりと足を進め、易老岳の山頂に、樹林帯の中、景色なし。
またここまでヒルの被害なし。そこで昼食、その日泊まる光小屋では団体客に食事が出ないのでガスコンロとコッフェルを持ってきていたので、みんなでドリップ式コーヒーを沸かして飲んだ。 |
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林道崩落現場(迂回路あり) |
易老渡の登山口の橋 |
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ジグザグの登山道を登る |
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易老岳山頂(荒れている) |
ようやく樹林帯を抜けた |
昼食後、そこからシダの中の道、立ち枯れの林を少し下り、三吉平から緩やかな登りになる。
やがて石のゴロゴロした急な登り、やがて平原に出ると、そこが静高平、いろいろな花が咲いていて、そして水場がある。そこで水を補給して光小屋へ、光小屋では水場が往復20分のところ、それでここで翌日の朝までの水を補給しないといけない。この日の歩行時間は11時間半、疲れ切った体に自炊はきつい。
団体客に食事が出ない光小屋、この日すれ違った登山者は一人もなし。南アルプスの奥のそのまた奥の山小屋だ。
ちなみに今回泊まった三軒の山小屋はすべて寝袋使用、床にはロールマット(銀マット)が敷いてあり寝袋だけで充分だった。光小屋は枕があったが、他の小屋には枕がなかった。 |
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ゴロゴロした石の道 |
ここを登るのです。 |
静高平 |
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静高平の水場で休憩 |
この木道の先に光小屋がある。 |
光小屋到着 |
≪三日目 晴れのちガス≫
小屋で朝食を済ませ、光岳に登り、光石まで進んだ。 |
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中央が聖岳 |
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光小屋での日の出 |
光小屋での集合写真 |
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光石に登る(危険なので半数ずつ) |
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光岳山頂での集合写真 |
光石に登るメンバーたち |
いったん小屋まで戻り来た道を、途中イザルガ岳に立ち寄り易老岳まで戻る。 |
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さあ、光小屋から出発です。 |
少しガスが出てきた |
イザルヶ岳の山頂で |
途中樹林帯が途切れたところで休憩、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳らしい山々が見えた。中央アルプスの木曽駒ケ岳や空木岳も見えるのだが、どれがどれかはわからない。易老岳は通過、そこから尾根道を下る。鞍部から希望峰へ登りダケカンバの樹林帯、その木道を歩くと茶臼岳だ。 |
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石のゴロー帯を下る |
南アルプス木曽駒ヶ岳方面 |
景色のいいところで休憩 |
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樹林帯の中を進む |
時々は樹林帯の開けたところも |
仁田池を渡る |
このころガスが立ち込め、本来なら非常に景色のいいところ、方向指示盤もあったが山は見えない。たまたまそこにいた青年から集合写真を撮ってもらい、砂の尾根を下り茶臼小屋に入る。 |
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茶臼小屋への下り |
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茶臼岳山頂にて集合写真 |
茶臼小屋 |
この日からは小屋の食事が提供される。実はこの二日前、それまで天気が悪くようやくヘリコプターでの荷揚げが行われたとのことを光小屋のオヤジから聞いていた。「こんな日はスタッフの喜ぶ刺し身が夕食にでるよ。」と私が言ったら、こんな山奥でと誰も信じなかったが、その日の夕食に刺し身が出た。この日は9時間の歩行だった。 |
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茶臼小屋横のベンチ(疲れ切っている) |
夕食(刺し身が三切れあり) |
夕食風景 |
≪四日目 曇りのち時々ガス≫
朝食後、砂地の登り、ハイマツの中を上河内岳分岐まで登り、上河内岳をピストン、南岳を経由して聖平小屋まで急な下り、眼前に聖岳の雄姿がガスの中から現れる。 |
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朝食 |
小屋から急坂を登る |
稜線上はガスの中 |
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南岳山頂で休憩 |
ハイマツ帯を下る |
ガスが多くなった |
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聖岳がガスの中に見えた |
聖岳山頂も見えた。大きいなあ。あれ登るの |
この木道の奥に山小屋が |
聖平小屋に10時過ぎに到着、余分な荷物を預けて標高差700Mの聖岳に登る。
疲れた体にガレ場の急登はきつい。滑りやすく急な登りだ。夕食の時間(4時半)を気にしながらの3時間の登りだった。
山頂はガスの中で展望はなし。
小休憩の後、ガレ場を下る。 |
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聖平小屋に着いたぞ。 |
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薊平で休憩 |
聖岳山頂での集合写真 |
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この先に奥聖岳が |
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聖岳山頂でバンザイ |
ガレ場を下る |
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この痩せ尾根を下るのです。 |
気を付けて下ってね |
滑りやすいガレ場の道 |
小屋に入るとフルーツポンチがいただけた。この日の歩行時間は10時間半。
この聖平小屋はトイレが遠い。約100M下るとようやくトイレ、これでは夜中が大変だと思った。 |
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聖平小屋の名物、フルーツポンチ |
夕食(このオデンが美味しい) |
夕食風景 |
≪五日目 雨≫
夜中、すごい豪雨だった。台風も来ていたようだし、もしかしたら翌日は停滞しなければいけないかもと。心配でなかなか眠れなかった。でも朝になったら雨は小降りになっていた。 |
この日はいったん薊畑まで登り、あとは樹林帯の中の下り、雨に濡れた木の根が滑りやすい。
この頃、前の晩同宿していた5人組に追い越された。関西からの登山者、昨日聖平小屋までようやく登ってきたが、この日天気が悪く聖岳に登るのを諦め同じ道を引き返すと、なんとも哀れな人たちだった。
標高が1500Mを過ぎるとヒルの生息地、雨でその活動が活発になり気を付けて下る。その前に休憩を取りヒル除けスプレーの入念な噴射を。 |
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朝食 |
雨の中、出発 |
西沢渡で150キロまで乗れる手動ロープーウェーで4人ずつ乗って川を渡る(この時は荷重150キロなんて知らなかったのですよ)。
便ヶ島まで崩れた道を歩き、東屋風の大きな休憩所で休憩、するとここでみんな体にまとわりついたヒルと格闘だった。次々と出てくる山ヒルの体からの外し方に時間をさかれてしまう。足元にスプレーしたヒル除け薬は雨にすっかり流されてしまったようだ。
その後長い林道歩き、13時に一日目の宿のバスの待つ北又度発電所に着いた。この日の歩行時間は8時間だった。 |
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荒れた樹林帯を下る |
手動式ロープーウェー |
芝沢ゲート駐車場(我々はまだ歩くのです) |
こうして5日間の山行が終わった。樹林帯の中の歩行、ガスと景色には恵まれなかったが、一人も遅れることなく、難易度の高い山を登り切ったことは、また自信になったのではないだろうか。疲れも大きかったが、達成感も大きかった。
私は栄PAでみんなと別れた。駐車場まで歩きザックを車に入れようとしたら山ヒルがザックカバーに付いていた。
そのヒルは殺したが、家に帰りゼックは玄関の外に置き、別の二つのバックはファスナーを閉めたまま外側だけヒルの確認をして家の中に入れた。
翌日の日曜日、車の中、ザックの中、バックの中、着ていた衣類を丹念に調べ、三匹のヒルを見つけた。私にはヒルの被害はなかったが、2010年7月3日の会山行「稲包山」を思い出した。興味のある方はそのときの紀行文を。
≪今回の山行で出会えた花々≫ |
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