≪紀行文≫ |
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〜〜〜祭囃子の古道を歩く〜〜〜 |
「高町越え」は根知谷と南小谷の間で、塩の道が西廻りと東廻りのルートに分かれるその東廻りになります。古くはヒスイが運ばれ、諏訪大社御柱祭の前年に行われる「薙鎌(なぎがま)打ち神事」には信越国境のご神木に打つ薙鎌を運ぶ道になります。その諏訪信仰の雰囲気が色濃く残る道を深原から大宮諏訪神社まで歩きました。
大宮諏訪神社は「薙鎌打ち神事」の前日に、薙鎌が奉納される諏訪大社最大の分社です。その大宮諏訪神社で行われる例祭の見物も山行の楽しみの一つです。
出発時の新潟は前線の影響で大変の雨でした。バスが西へ向かうにつれ晴れ間が多くなり、小谷は暑いぐらいの良い天気になりました。
深原集落からから20分ほど、コンクリートの林道登り、ここがこの日の一番の頑張り所となりました。
古道は往時の雰囲気をよく残しており、銭上平には「右ハ越後道、左ハ深原道」と記された道標が残っていました。
(俳句)古道あり祭りある村花むくげ (俳句)青栗の三つ四つ塩の道古道 (俳句)切り通しひときわ残暑払う風
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出発の深原口 |
これより高町越え |
路傍の石仏 |
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ガイドさんの説明を聞き |
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銭上平の道標 |
古道も夏草の中 |
ロープにつかまり足元注意 |
ブナ林の中、等高線に沿って作られた道は平坦で歩きやすく、ツリフネソウ、キンミズヒキ、ゲンノショウコ、ハギの花が古道によく似合っていました。
歩荷宿や茶店で賑った埋橋、今では全戸移転となり無人になっていますが、古道を歩く人のために湧水やベンチが用意されていました。このタイムスリップしたような一角で昼食をとりました。高町、平島城跡、傾城清水と繋ぎ、切り通しやウトウ(雨水や牛馬の蹄などによってU字に掘りこまれた通り)に往時を偲ぶことができました。
(俳句)二百年経し道しるべ花すすき (俳句)主なく閉ざされし家秋ざくら (俳句)うとう道水引きの紅折々に
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小さな沢を渡り |
すでに秋の気配 |
豊富な湧き水が嬉しい |
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埋橋での昼食 |
埋橋の薬師堂 |
大宮諏訪神社に向け出発 |
法被姿の村人に混じり境内に座ると、すっかり祭り気分。御神輿が境内を駆け巡り、祭りの始まりです。男の子2人で踊る、軽快でかわいらしい「狂拍子」。奴踊りは12人の奴が自分達で詠んだ歌を神に奉納するもの。
歌詞は3番まであって、1番は作柄、2番は郷土に関する歌、3番は時局世相の歌でこの場で初めての公開されるものです。そのユーモラスの踊りと風刺のきいた歌詞に拍手が湧きました。そして勇壮で迫力のある「獅子舞」、昔ながらの祭りらしい祭りを楽しむことができました。
「奴踊り」、「狂拍子」は長野県の無形文化財になっています。 |
(俳句)秋草の境内せまし練り御輿
(俳句)おはやしは村人総出秋祭り
(俳句)秋晴るる狂ばやしの子等二人
(俳句)獅子舞の若き二人や秋の汗
(俳句)世間問う奴踊りや風涼し
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神宮寺の石仏群 |
境内に座って見学 |
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例祭に向かう宮司 |
狂拍子を舞う2人の子供 |
県の無形文化財、狂拍子の舞い |
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荒ぶるお神輿 |
獅子の悪魔祓い |
オンベを振る獅子 |
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諏訪大社の紋を付けた奴が躍る
奴踊りは県の無形文化財 |
大宮諏訪神社にて集合写真 |
≪高町越えで見た花と実≫ |
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≪奴踊りで発表された歌詞≫ |
1、戌年は
早春からの気温高
雪解け早く空梅雨で
連日酷暑の雨不足
氏神様の後利益で
萬の作も豊作よ
風穏やかな大祭り |
2、村民の
将来託す地方選
着実一歩の成長を
三期目頼むぞ安倍県政
憂う事態が現実に
定数割れの村議選
皆でよらうぞ村づくり |
3. 横車
ごり押し通れば道理が引っ込む
森友加計に自衛隊までも
知らぬ存ぜぬ記憶無し
スポーツ界にもセクハラが
見るに見兼ねる傲慢さ
尻尾切るより頭切れ |
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