≪紀行文≫ |
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〜〜〜良寛たずね道・出雲崎編〜〜〜 |
良寛さんは私たちにとって子供のころから馴染み深い存在です。その良寛さんゆかりの地を5回に分けて行われる「良寛たずね道」のトレッキングに参加しました。今回はその第一回目、良寛さんの生まれた出雲崎の町を訪れました。 出雲崎は大国主命が生まれ育った「出雲の国」に似ているということから「出雲崎」と地名を付けたと伝えられています。そして、良寛さん生誕の地であるばかりではなく、芭蕉詠嘆の地、江戸時代の天領地、近代石油産業発祥の地でもあります。 |
新潟からの電車の旅は、まるで遠足のよう「吉田から先の電車に乗るのは初めて〜!」。何もかもが新鮮です。
初めて出雲崎駅に降り立ちました。さっそく、タクシーに分乗して良寛記念館に移動。
良寛記念館では、館長さんに書や歌の説明をしていただきました。 良寛さんのような館長さんのお話に、ほんわりと心が温かくなりました。
(俳句)青葉駅潮の香りのなき出雲崎
(俳句)花菖蒲凛と良寛記念館
(俳句)良寛の無常を説く書や額の花
(俳句)佐渡見へぬ良寛の丘梅雨霞
(俳句)佐渡へ向く良寛の像梅雨の波
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出雲崎駅にて |
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良寛記念館入口 |
五合庵を模した耐雪庵 |
良寛さんのような館長さん |
良寛記念館からは、「妻入り町並み(北国街道)」歩きです。「妻入り」とは家と家とが重なり合うように軒を連ね、「妻」の部分が通りに面した建築様式です。こうした家が約3.6qも続いており、日本一の長さだそうです。
この「妻入り町並み」通りは、良寛さんの故郷に相応しく趣きがあってとてもよいのです。良寛さんのお姿を偲びながら、生家橘屋跡、菩提寺、修行した寺を巡りました。一番の難所は、良寛さんの生家が司っていた石井神社への階段でした。皆で数えたら105段ありました。
(俳句)お祭りの支度整ふ良寛堂 (俳句)妻入りの家露草と紙風船 (俳句)良寛の剃髪の寺つた青葉
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夕日の丘公園からの出雲崎港 |
妻入り町並みを歩く |
良寛さんの生家跡 |
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良寛像と後ろは浮御堂 |
一番の難所でした |
生家が司っていた石井神社 |
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生家の菩提寺円明院 |
ずらりと観音像 |
芭蕉園にて休憩 |
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船宿を模した妻入会館 |
船宿・敦賀屋の復元 |
地元の方の案内 |
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良寛さんが剃髪した光明寺 |
名菓「白雪こう」の大黒屋 |
昼食をとった「道の駅天領の里」 |
出雲崎町は江戸時代には幕府の天領地、北前船の寄港地、北国街道の宿場町として賑わっていました。
北前船で賑わった頃の船宿、代官所跡に獄門跡などの史跡を巡りました。もちろん、芭蕉も立ち寄り、名吟「荒海や佐渡によこたふ天河」を残しています。
獄門跡ではYさんの読経の後、Kさんが供養の野点を行って下さいました。しみじみと味わい深くお薄を頂き、「良寛たずね道」の出雲崎編を締めことができました。
(俳句)代官所稲荷詣でやこうぞの実 (俳句)かんぞうの咲いて尼瀬の油田跡
(俳句)野点する獄門跡や茄子の花 (俳句)梅雨寒の良寛訪ね道は果つる
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街道沿いに咲くハマナスの花 |
「妻入り町並み」は北国街道 |
代官所跡 |
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民家の燕の巣 |
日本で初めて機械堀油田 |
油田脇のカンゾウの花 |
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江戸と佐渡を結ぶ主要幹線 |
獄門跡に到着 |
お経をあげ |
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供養の野点 |
お堂の前で野点会 |
こんな旗もありました |
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