会山行紀行文 2018年
6/15(金)
曇り
良寛たずね道@
(出雲崎)
参加者 (紀行文) 2052 M/T
No−T32 グレード:E 12名 (俳句) 557 T/K
 担当リーダー1316M/M (男性2名・女性10名) (写真) 2051 S/T
≪コースタイム≫
新潟駅(7:43)=(越後線)=吉田駅(8:39)=出雲崎駅(9:11)=良寛記念館(9:25-10:10)…橘屋跡…石井神社…円明寺…木戸跡…芭蕉園…北国街道妻入り会館(11:15-11:35)…光明寺…大黒屋…道の駅天領の里・昼食(12:00-13:15)…代官所跡…獄門跡・野点(13:45-14:15)…道の駅天領の里(14:10-15:25)=出雲崎駅(16:02)=吉田駅(17:00)=新潟駅(17:54)
≪紀行文≫
〜〜〜良寛たずね道・出雲崎編〜〜〜

 良寛さんは私たちにとって子供のころから馴染み深い存在です。その良寛さんゆかりの地を5回に分けて行われる「良寛たずね道」のトレッキングに参加しました。今回はその第一回目、良寛さんの生まれた出雲崎の町を訪れました。
 出雲崎は大国主命が生まれ育った「出雲の国」に似ているということから「出雲崎」と地名を付けたと伝えられています。そして、良寛さん生誕の地であるばかりではなく、芭蕉詠嘆の地、江戸時代の天領地、近代石油産業発祥の地でもあります。

 新潟からの電車の旅は、まるで遠足のよう「吉田から先の電車に乗るのは初めて〜!」。何もかもが新鮮です。

 初めて出雲崎駅に降り立ちました。さっそく、タクシーに分乗して良寛記念館に移動。

 良寛記念館では、館長さんに書や歌の説明をしていただきました。 良寛さんのような館長さんのお話に、ほんわりと心が温かくなりました。

 (俳句)青葉駅潮の香りのなき出雲崎
 (俳句)花菖蒲凛と良寛記念館
 (俳句)良寛の無常を説く書や額の花
 (俳句)佐渡見へぬ良寛の丘梅雨霞
 (俳句)佐渡へ向く良寛の像梅雨の波

出雲崎駅にて
良寛記念館入口 五合庵を模した耐雪庵 良寛さんのような館長さん

 良寛記念館からは、「妻入り町並み(北国街道)」歩きです。「妻入り」とは家と家とが重なり合うように軒を連ね、「妻」の部分が通りに面した建築様式です。こうした家が約3.6qも続いており、日本一の長さだそうです。
 この「妻入り町並み」通りは、良寛さんの故郷に相応しく趣きがあってとてもよいのです。良寛さんのお姿を偲びながら、生家橘屋跡、菩提寺、修行した寺を巡りました。一番の難所は、良寛さんの生家が司っていた石井神社への階段でした。皆で数えたら105段ありました。

 (俳句)お祭りの支度整ふ良寛堂   (俳句)妻入りの家露草と紙風船   (俳句)良寛の剃髪の寺つた青葉

夕日の丘公園からの出雲崎港 妻入り町並みを歩く 良寛さんの生家跡
良寛像と後ろは浮御堂 一番の難所でした 生家が司っていた石井神社
生家の菩提寺円明院 ずらりと観音像 芭蕉園にて休憩
船宿を模した妻入会館 船宿・敦賀屋の復元 地元の方の案内
良寛さんが剃髪した光明寺 名菓「白雪こう」の大黒屋 昼食をとった「道の駅天領の里」

 出雲崎町は江戸時代には幕府の天領地、北前船の寄港地、北国街道の宿場町として賑わっていました。
 北前船で賑わった頃の船宿、代官所跡に獄門跡などの史跡を巡りました。もちろん、芭蕉も立ち寄り、名吟「荒海や佐渡によこたふ天河」を残しています。
 獄門跡ではYさんの読経の後、Kさんが供養の野点を行って下さいました。しみじみと味わい深くお薄を頂き、「良寛たずね道」の出雲崎編を締めことができました。

   (俳句)代官所稲荷詣でやこうぞの実    (俳句)かんぞうの咲いて尼瀬の油田跡
   (俳句)野点する獄門跡や茄子の花     (俳句)梅雨寒の良寛訪ね道は果つる

街道沿いに咲くハマナスの花 「妻入り町並み」は北国街道 代官所跡
 民家の燕の巣 日本で初めて機械堀油田  油田脇のカンゾウの花 
 江戸と佐渡を結ぶ主要幹線  獄門跡に到着 お経をあげ 
 供養の野点 お堂の前で野点会  こんな旗もありました