会山行紀行文 2018年
6/16(土)
曇り
越後米沢街道・十三峠B
貝淵峠〜黒沢峠〜桜峠〜才ノ頭峠

426m  435m
参加者 (紀行文) 2097 T/Y
No−65  グレード:C  37名
 担当リーダー 2097 T/Y (男性10名・女性27名) (写真) 2097 T/Y
≪コースタイム≫
新潟駅南口(7:10)=ベイシア新潟豊栄店(7:40)=聖篭新発田IC(8:00)=(日東道)=荒川胎内IC=(国道113号)=道の駅関川(8:45)=黒沢集落(9:30)…貝淵峠…黒沢集落(10:10)=黒沢峠(入口10:25-10:37)…出口(12:25)…市野々集落跡…市野々イチョウ広場(13:00-13:50昼食)…桜峠(14:04)…白子沢集落…才ノ頭峠…白沼小中学校(16:56)=道の駅関川=(国道113号)=荒川胎内IC=(日東道)=聖篭新発田IC=ベイシア新潟豊栄店=新潟駅南口(19:10)
≪紀行文≫
〜〜〜越後米沢街道沿いの黒沢峠等の史跡や四季の自然に触れてきました・パート2〜〜〜

 越後米沢街道は、山形県米沢市の大町と新潟県関川村を結ぶ長約70kmの街道である。別名「十三峠」とも呼ばれており、山形県川西町小松と新潟県関川村下川口の間には大小13の峠が存在し、この峠道は戊辰戦争の舞台となり、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが難儀して旅をしたひとつ行程である。
 他にも、伊達政宗や五郎八姫、良寛、直江兼続、西郷隆盛、原敬などが通ったといわれており、正に歴史の道でもある。
 この峠道は、大永元年(1521年)に伊達14代の稙宗(たねむね)が、大里峠を開いたのが始まりである。それ以前は、田代峠という標高700mを越えるルートであったが、大里峠が開削され、標高487mの山形・新潟の県境を越えるルートとなった。
 その後、順次東側のルートが整備され江戸時代の初めには十三峠が成立したといわれている。上杉藩により、宿駅・伝馬制度が整うと、ますます街道の重要度が高まり、最上川舟運と併せ、置賜の経済活動を支えるようになり、長期間にわたって置賜と越後を結ぶ幹線道として重要な役割を果たしたとのこと。

 越後米沢街道は、山形県米沢市の大町と新潟県関川村を結ぶ長約70kmの街道で「歴史の道百選」「日本風景街道」に登録され、英国の女性探検家イザベラ・バードの旅行記の舞台ともなった越後米沢街道・十三峠を4回に分け3回目は貝淵峠〜黒沢峠〜桜峠〜才ノ頭峠をトレッキングしました。第3回は13.7kmありますが、途中移動にバスを使い約12 km歩きました。
 今回のメーンの黒沢峠では、緑に苔むした敷石の美しさと歴史の深さに魅せられてきました。熱中症にならずに済んだ涼しい曇りの天気で女性探検家イザベラ・バードや先人たちの歩いた道を辿り、行程はほぼ時間通りにガイドの説明を受けながら街道沿いの史跡や自然に触れて、楽しんで歩きました。

 黒沢峠入口まではマイクロバスでしか行けないので2台に分乗し、新潟駅から29名を乗せ、途中ベイシア新潟豊栄店駐車場5名、聖籠新発田IC2名、道の駅関川1名を乗せ合計37名。聖籠新発田ICから日本海東北自動車道に乗り、荒川胎内ICで下りて国道113号等経由で、途中でガイドさん2人を乗せ山形県小国町黒沢集落に9:30到着。

 貝淵峠(小国町種沢と黒沢を結ぶ)
 種沢と黒沢を結ぶ小さな峠。以前、黒沢集落の小学生はこの峠を通り種沢分校に通学していたが、昭和42年の羽越水害後通れなくなっていた。
 平成21年に黒沢敷石道保存会で整備を行い通行できるようになった。水害後、峠の直ぐ下を通る道路ができ、今この峠を通る人はほとんどいない。
黒沢集落から少し歩き貝淵峠入口で岡村ガイドさんから峠の説明   貝淵峠入口からスタート 黒沢集落の小学生が通学した峠道を歩く古道と横川の間に道路ができたため、斜面が削られ道幅は狭い 
小学生が毎日歩いた道を感慨深く歩く 貝淵峠出口に出た

 黒沢峠(小国町市野々と黒沢を結ぶ)
 市野々と黒沢の集落を結ぶ古道には2つのルートがある。大永元年(1521)に大里峠が開削され、その後順次東側の峠が整備されたが、その時代に開削された黒沢峠を旧道と呼んでおり、敷石道と並行し北側に位置している。敷石道は延享3(1746)年頃に開削されたようである。

 現在の黒沢峠の敷石道は全長2.6kmで、内1.8kmに加行された石が敷かれており、その段数は3,600段といわれている。敷石工事は天保10(1839)年から慶応3(1867)年にかけて行われた。
 
 平成8(1996)年文化庁選定の「歴史の道百選」では『・・・幅約50cm、長さ約1.5mの苔むした敷石が、頂上に向かって約3,600段ブナ林の中を続く。これほど美しく特徴ある街道は「歴史の道百選」の中でも唯一のものだ・・・』と紹介されている。また、平成20年には、十三峠が「日本風景街道」(十三峠全体)に登録されている。 
 黒沢峠入口にある祭り広場に到着
 峠入口にある黒沢峠案内板 岡村ガイドさんから黒沢部落とイザベラ・バード、黒沢峠の歴史など説明を受けた 「0/10黒沢峠」小さな標木は260m毎にある 
黒沢峠入口の標識   黒沢峠の敷石用の石切り場 目の不自由な人が曲がり切れず真っ直ぐ歩き崖に転げ落ちた「座頭ころび」
 長年人馬の歩行で年輪模様になった砂岩の敷石  杉林からブナ林に変わる頃の敷石道 綺麗に並んでいる苔むした敷石が美しい
 米沢から数えて12番目の「一里塚」  「古屋敷跡」黒沢部落の先祖が「茶屋」と「助」兼ねた 頂上直前の峠道の敷石 
1号車(1/2/3班)の集合写真 2号車(4/5/6班)の集合写真
職人が和算で測って綺麗に曲げて設置された敷石  黒沢峠出口(市野々口)に降りる  黒沢峠(市野々口)案内板 
白い森おぐに湖(ダム湖)の中を歩きダムと湖の説明を受ける   ダム湖そばの市野々イチョウ広場で昼食 

 桜峠(小国町白子沢と市野々(白い森おぐに湖)を結ぶ)
 所々に古道の道形は残るが、全て舗装路(県道)の峠である。以前は途中の沢中や桜にも集落はあったが、今は移転しその形跡だけが名残を残している。
 頂上は切り通しになっており越えると市野々の「白い森おぐに湖」に出る。峠の全長は6.3kmと十三峠の中では、最も長い峠である。
 市野々イチョウ広場出発  桜峠入口登山開始 桜峠入口上部にある「馬頭観音」 
「金剛山」に対する信仰が小国の地まで波及   桜峠の頂上に到着 花の説明を受けながらこのような舗装路の峠を歩く  
 三山信仰の「湯殿山碑」  「白子神社」は開創養老元年(717)でその由来を聞く 「白子神社」から才ノ頭峠へ 

 才ノ頭峠(小国町白子沢地内)
 国道113号線から左折し桜川に沿って上流へ行くと間もなくの小さな峠。峠名の由来は、峠の出口(桜峠側)に立つ地蔵尊「塞(境)の神」から付けられたものと考えられる。
峠名の由来の「賽の頭地蔵尊」 「賽の頭地蔵尊」の説明を受けこの後才ノ頭峠を歩く 白沼小中学校前に到着