≪紀行文≫ |
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〜〜〜佐渡の歴史に触れた2日間でした〜〜〜 |
天気玲瓏なれど波高。往きの船は結構揺れましたが、梅雨の晴れ間に恵まれて金剛山、檀特山と雄峰二座は順調に登頂出来ました。
檀特山の次に向かったのは、その昔浄土宗の行者弾誓上人が修行の末に悟りを開いたという奥の院。
山中に次々現れる超弩級の古代杉は圧巻でした。 |
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地元N氏は頼もしい味方 |
何の警告? |
正体はアリの巣でした |
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金剛山は石楠花の山 |
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ランチは楽し |
集合写真(石名天然杉) |
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檀特山はヤブの山 |
奥の院こっち |
古代杉が圧巻 |
谷をずんずん下って底に着くと釈迦堂がありました。丁度地元の世話人さんが除草に来ておられたので、中の鉈彫の釈迦牟尼仏を拝観させてもらいました。
(俳句)裏佐渡の海霧(じり)まく山の古代杉 (俳句)鉈彫の御仏おわす梅雨の堂
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奥の院は籠り堂 |
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世話人さんと記念に |
集合写真(檀特山石名登山口) |
登り返しが急な坂を登山道まで戻って下山しました。
石名集落にある本寺の清水寺を訪ねて木喰行者手彫りの地蔵尊と薬師如来坐像を拝観してから。宿へ向かいました。
(俳句)鉈彫の黴(かび)の如来にかしづきぬ (俳句)佐渡訛親しき梅雨の島泊り
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行者手彫りの薬師佛 |
本寺の石名清水寺を参詣しました |
お宿は魚尽し御馳走で |
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翌朝も爽やかに晴れました。佐渡のムジナが御祭神の大杉神社・別名左武徒(さぶと)神社からスタートしました。
「平成狸合戦ぽんぽこ」に名前が出て来るほど有名な東日本を代表する狸の大親分二ツ岩団三郎大明神(相川下戸)の奥さんのムジナを祀っているそうです。 |
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海?(とど)の峰の大岩壁 |
トドの峰の化石です |
祭神は佐渡ムジナ |
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大杉をくぐると御社です |
聖地岩谷山はグリーンタフ |
大岩壁は天然の音響舞台 |
次は檀特山で弾誓上人が即身成仏し、生き仏として甦った聖地の岩谷口に向かいました。
見上げるような垂壁の下に岩窟が二つ並んでいました。地元では「弘法大師の投げ筆」と呼ぶらしいですが、明らかに弾誓上人の六字名号でした。岩壁に彫ったのは弾誓上人を慕って、天保元年(1830)に埼玉県から佐渡に来た木喰行者の浄厳上人(じょうごん)です。
始祖弾誓上人から数えて7代目の弟子でした。北佐渡の集落毎には今も浄厳上人の利剣名号塔が現存しています。
外海府の真更川から内海府の北小浦を結ぶ山越え道路の途中の山中に忽然と姿を現す、山居池と光明仏寺を訪ねました。光明仏とは弾誓上人のことです。
(俳句)目鼻なき苔むす石の梅雨佛 (俳句)その奥に伝説多し梅雨の池
光明仏寺は師・弾誓上人の修業地を選んで二代担唱と三代長音が建立しました。 |
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洞窟は暗くて深い |
これが浄厳(じょうごん)名号塔 |
覗くと目がくらむ |
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大ザレ滝はこの橋の真下 |
弾誓上人(中央)と名号塔 |
山中に忽然と寺院出現 |
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山居池畔にも浄厳名号塔 |
山居池は神秘的 |
カンゾーはまだ盛り |
大野亀に戻り登頂の後昼食を摂り、午後は賽の河原から藻浦海岸まで波打ち際を歩きました。
北佐渡の歴史に触れたメニュー盛りだくさんの一日となりました。
(俳句)半農の半漁の島卯波立つ (俳句)渺茫と海豚瀬(いるかせ)といふ梅雨の海 (おわり)
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大野亀に登りました |
イワユリは恋の花 |
賽の河原は明るい |
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藻浦道はワイルド |
二ツ亀が亀の様 |
GPS軌跡(金剛山、檀特山) |
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