≪紀行文≫ |
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当初の計画は高旗山だったが、1週間前の下見で雪の為トレッキング不適と判断、当日の出発時に参加者の同意を得て、宇津峰に目的地変更して実施しました。
新潟を出る時は晴れ、会津若松市も晴れていて遠くに純白の飯豊連峰を眺める事が出来ました。
郡山市に着いてみると曇り空、でも風はなく雨や雪の降る気配もなく、まずまずの山日和という感じです。
(俳句)まだ二尺雪ある峠磐城路へ(557) (俳句)雪光る飯豊は遠く春うらら(758)
幾つか登山口はありますが、今回は最もポピュラーな馬場平登山口より大きな鳥居をくぐって山頂を詰めます。
(俳句)芽吹き風一の鳥居の登山口(557)
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馬場平の鳥居をくぐってスタート |
時々階段、登り易い段差で助かる |
乾いた落葉を踏むのが心地良い |
何度か階段を登りますが、きれいに手入れされた登り易い道、この時期の新潟ではまず味わえない落葉をカサコソと踏みながらの道です。
(俳句)階(きざはし)に松笠転げ草青む(557)
最初は緩やかな坂を登り始めましが、ほどなく長い階段を登る事になります。何分にも高齢者団体なので、ゆっくりゆっくりと段を登り更に上を目指します。
この先も時々階段がありますが、皆さんの調子を見ながらあまり間隔が開かないように気を付けながら登るうちに、車道へと飛び出しました。登山口から先にも車道が延びており、中ほどで横断するのです。
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車道を横断します |
ゆっくりと高度を上げていきます |
山頂に到着!しました |
全体として歩きやすい道ではありますが、車道を横断してからも、2〜3回の階段を登り切って山頂へと飛び出しました。
広々とした阿武隈高原や福島空港も望める山頂には、宇津峰神社の土塁や後醍醐天皇の三親王の祠などもあります。また長く延びた山頂広場には四阿や感じの良い草地などもあります。
(俳句)宇津峰で見おろす町や春朧 (俳句)南朝の三神御座(おわ)す春の峰
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阿武隈の展望を楽しむ |
宇津峰神社跡、後醍醐天皇三親王の祠があります |
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=================================(宇津峰とは)===============================
郡山市と須賀川市の境界に位置する。山を付けずに単に宇津峰と呼ぶことも多く、宇津峰は雲水峰や埋峰とも書き、14世紀の南北朝時代の末期に霊山とともに東北における南朝側の拠点となった歴史ある名山で、標高はそれほど高くないが威厳を感じさせる堂々とした山容である。
650年余りの歳月を経た今なお山頂に残る土塁の跡が、当時の北朝側との10年余りに及ぶ戦いの激しさを忍ばせている。 宇津峰森林公園としても整備され車道が山頂近くまで通っている。須賀川側は市民の森として整備され南麓の明るく登りやすい斜面となっている。
〜福島の山々よりHPより〜
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山頂広場でゆっくりと昼食を楽しんでから下山。
(俳句)本丸の跡の昼餉や芽吹き寒 (俳句)春の泥踏み一歩づつ下山道 |
心地良い広場と四阿 |
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草地でゆっくりと昼食タイム |
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山頂を後に下山します |
山頂の記念碑前にて |
登山口に戻ってから、バスに乗換えて再度山頂直下の「御井戸の水」見学に出かけました。
南北朝のころ、雲水城にこもった高貴な方も飲んだと伝えられ、郡山市の「水とふれあう名所10選」にも選ばれているという。水量豊富、美味しい軟水だった。
(俳句)南北朝しのぶ御井戸の水温む
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御井戸の水は高台の小広場にあり、静かに流れていました |
宇津峰を離れて新潟へと戻る国道49号沿いに、「開成山公園」があります。
福島県屈指の名園であり、明治時代、原野だった郡山に猪苗代湖から水を引く「安積疎水(あさかそすい)」の完成を記念して造られた公園、今日の郡山の繁栄の礎となった偉業を偲ぶ「開拓者の群像」を見学、更に隣の「開成山大神宮」を参拝しました。
(俳句)開拓の群像並ぶ芽吹く園
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開拓者の群像見学と、開成山大神宮に参拝しました |
開拓者の群像前にいた10名ほどの女子中学生とのミニ交流がありました。明るく笑顔の絶えないこの子たちの中に、新潟から来た事を伝えると「つい先日まで新潟市東区に避難していました」という子がいました。
牡丹山小学校に通っていたという事ですが、「原発いじめに遭わなかった?」と聞くと、「全然なくて皆さんに良くして頂きました」との応え。大変な思いをした子らに辛い目をさせることがなくて、本当に良かった!
(俳句)避難から帰り来し子と春の園
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ともかく明るいこの子達との交流、けなげさが伝わってきた |