≪紀行文≫ |
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〜〜〜越後米沢街道沿いの史跡や四季の自然に触れてきました・パート1〜〜〜 |
越後米沢街道は、山形県米沢市の大町と新潟県関川村を結ぶ長約70kmの街道である。別名「十三峠」とも呼ばれており、山形県川西町小松と新潟県関川村下川口の全長約60kmの間には大小13の峠が存在し、この峠道は戊辰戦争の舞台となり、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが難儀して旅をしたひとつ行程である。
他にも、伊達政宗や五郎八姫、良寛などが通ったといわれており、正に歴史の道でもある。
この峠道は、大永元年(1521年)に伊達14代の稙宗(たねむね)が、大里峠を開いたのが始まりである。それ以前は、田代峠という標高700mを越えるルートであったが、大里峠が開削され、標高487mの山形・新潟の県境を越えるルートとなった。
その後、順次東側のルートが整備され江戸時代の初めには十三峠が成立したといわれている。上杉藩により、宿駅・伝馬制度が整うと、ますます街道の重要度が高まり、最上川舟運と併せ、置賜の経済活動を支えるようになり、長期間にわたって置賜と越後を結ぶ幹線道として重要な役割を果たしたとのこと。
越後米沢街道は、「歴史の道百選」「日本風景街道」に登録され、英国の女性探検家イザベラ・バードの旅行記の舞台ともなった越後米沢街道・十三峠を4回に分け、1回目は鷹巣峠〜榎峠〜大里峠をトレッキングした。
第1回は13.3kmあるが、途中移動にバスを使い約10 km歩いた。
晴れて天気に恵まれて先人たちの歩いた道を辿り、行程は時間通りにガイドの説明を受けながら街道沿いの史跡や自然に触れて、楽しんで歩いた。
今回の山行中は少し暑かったが、森の中で風もあり、熱中症にならずに済んだ。
天気は1週間前から晴れで、その後の変更はなく安心して山行が出来た。
新潟駅から30名を乗せ新潟駅7時5分大型バスで出発、途中ベイシア新潟豊栄店駐車場6名、聖籠新発田IC5名、道の駅関川1名を乗せ合計42名。聖籠新発田ICから日本海東北自動車道に乗り、荒川胎内ICで下りて国道113号等経由で関川村下川口集落に9:00到着。
鷹巣峠(新潟県関川村下川口と大内淵を結ぶ)
林道が古道と同じ方向に切られており、林道と古道を交互に通る峠で、緩やかな傾斜で歩き易い。
標高は低いがピークの2つある峠で、大内淵側は米坂線の開通によって古道は分断されており迂回して通る。 |
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関川村下川口集落の峠入口近くに到着 |
真ん中右が鷹巣峠入口 |
大きな標木には「旧米沢街道・峠の入口」、
左にある小さな標木には「0/10鷹巣峠」 |
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ガイドの「せきかわ歴史とみちの館」渡辺館長さん (中央)から標柱と入口直ぐ上にある7基の石造物群の説明 |
下川口側峠入口7基の石造物(元治2(1864)年と年代不明の庚申塔、文政12(1829)年と慶応3(1868)年の馬頭観音塔、弘化5(1848)年の湯殿山塔、年代不明の青面金剛塔など) |
鷹巣峠登山開始 |
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一旦林道に出る |
米沢街道・二重坂入口から入る |
歩きやすい街道 |
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ほとんど緩やかな登り、1つ目のピークを登る |
陽が差す新緑の中を歩く、ここは中ノ沢越場と呼ばれる休耕田の跡で再度上り道となり、間もなくもう一つのピーク熊坂となる。 |
この辺が鷹巣峠の熊坂ピーク |
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2度目の林道からまた入る入口 |
その入り口で休憩 |
渡辺館長さんから古い時代の米沢街道と米坂線により新しい街道を説明 |
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米坂線トンネルの上の新しい街道を歩く |
113号線の直前の小高い場所にある鷹之巣温泉を開湯した齋藤善作供養塔を説明 |
鷹巣峠出口から榎峠入口まで国道113号線を歩く |
榎峠(新潟県関川村大内淵と沼を結ぶ)
標高は低いがやや急坂のある峠である。かつては峠の頂上に一里塚(杭場)が建ち、榎の大木が枝を広げていたといわれる。
大内淵側の入口付近には茶屋があり、旅人の憩いの場となっていたという。しかし、戊辰戦争が始まると、この榎峠も戦乱の渦に巻き込まれることとなった。
沼側に下り部落の近い場所で土砂崩れの跡がある。 |
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榎峠の大内淵側の入口、国道113号線のすぐ脇に入口がある |
榎峠登山開始 |
榎峠の大内淵側の入口上部で休憩 |
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暫く急坂が続く |
急坂であるが42人が順調に歩く |
小さな沢を渡る場所は時間がかかる |
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榎峠の頂上に到着 |
榎峠の頂上で戊辰戦争時に榎峠で激戦を繰り広げ戦死した米沢藩士と新発田藩士の話や如意輪観音像などの説明 |
大里峠の頂上にある地蔵尊と兄弟である頂上東側にある如意輪観音像 |
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無名戦士の墓、戊辰戦争時に榎峠で激戦を繰り広げ戦死した米沢藩士と新発田藩士の供養塔 |
榎峠出口到着 |
中央の鞍部が峠道 |
大里峠(山形県小国町玉川と新潟県関川村沼を結ぶ)
標高は478mで十三峠では宇津峠(491m)に次いで高い。沼側から小沢に小さな橋が架かる変化に富んだコースを登る。
峠頂上の地蔵堂には大蛇伝説に基づく「大里大明神」が合祀されている。
伊達稙宗がこの峠を開削したことによって、後に十三峠が成立することになった。
下りは、山形と新潟の県境を越える古道で、玉川側はほぼ送電線に沿ったコースで下る。 |
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大里峠入口標識、榎峠出口からここまでバス移動 |
バス移動中は登山靴にビニール袋装着 |
大里峠入口からすぐの広い場所で昼食、ここは湧き水あり |
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渡辺館長さんから大里峠大蛇伝説など説明 |
登山開始、ここから大里峠入口まで40分は舗装・砂利道を歩く |
大里峠入口少し手前の畑鉱山跡の説明 |
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大里峠入口からスタート |
大里峠の登りは沢を数回亘るが、ここが1回目 |
2回目の沢渡 |
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ここは柄目木茶屋跡でその説明と熊に皮をはがされた杉の説明 |
大里峠の登りで急な登山道もあり |
新緑の中、参加者の長い列 |
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大里峠最後の難所 |
大里峠頂上に到着、この地蔵堂には地蔵さま、大里大明神、観音さまが祀られている |
地蔵堂脇から大里峠の頂上展望場所へ、周囲の山や蛇枕石の説明 |
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大里峠頂上から下山開始 |
下山は緩やかな道である |
03/10今日の3峠ともこの標識がある、01/10まであと少し |
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舗装林道から玉川側の大里峠入口標識 |
標識の場所で、玉金鉱山跡や凶霊供養塔などの説明 |
大里峠出口到着 |