≪紀行文≫ |
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〜〜〜晩秋の塩の道を歩く〜〜〜 |
◎11/1 《仁科文化の里を歩く》
この区間は中世から戦国期まで支配していた豪族仁科氏ゆかりの文化財が多く残されています。
糸魚川からの塩の道が栄えたのは、500年近くこの地を支配していた仁科氏によるもの。
その仁科文化に触れながら、紅葉の北アルプスを楽しみ東山山麓に沿う塩の道を歩きました。
(俳句) 水豊か柿たわわなり塩の道 (俳句) 塩の道ひたすら歩き秋惜しむ
千国街道(塩の道)沿いにある若一王子神社。仁科氏によって造られ、「神仏習合」の姿が残り国の重要文化財になっています。 |
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三重塔 |
春日造りの本殿 |
観音堂 |
塩の道資料館(ちょうじゃ)は江戸時代に塩問屋を営んだ平林家の建物になります。今は町の中となっている塩の道を歩き、仁科氏の館跡へ向かいます。
(俳句) 館あと見る塩問屋苅田中
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塩問屋の建物 |
昔は塩の道、今は町の中 |
館之内館跡 |
大町市街から、塩の道は東山山麓沿いの歩きになります。古い道祖神や石仏などが多く点在し、字も薄れてしまった道標に賑わっていた当時が偲ばれます。
仁科氏は京都にならって町作りを行ったために、京都に由来した地名が多く残っています。
(俳句) 草紅葉古き双体道祖神 (俳句) 京を模す地名次々葱の里
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ガイドさんの説明 |
野仏群 |
「にゅうのみ」と読みます |
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塩の道分岐 |
昔の道標 |
庚申塚 |
仁科氏が祭った仁科神明宮に参拝。静かな森の中にはある巨大な杉神木や、伊勢神宮を模して作ったという国宝の本殿の見学を行いました。
(俳句) 国宝の神明宮や冬木立
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ご神木の3本杉 |
国宝の本宮 |
元ご神木の切り株 |
朝からの長かった歩きは、童謡てるてる坊主を作詞した浅原六郎の文学記念館で終了。てるてる坊主に元気を貰い、宿へ向かいました。 |
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◎11/2 《湧水と野仏の安曇野を歩く》
塩の道は平坦な安曇野平に入り、池田町から豊科町まで約10kmを歩きました。
昨夜の降雪で三段紅葉となった北アルプスを背景に、安曇野平は日本の原風景そのものでした。
安曇追分から見える有明山は富士山にそっくりで、万葉の時代からこの地の人々に慕われてきました。
(俳句) 冠雪の嶺より明けし山の宿 (俳句) 追分けで見る有明けの嶺は雪
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安曇追分 |
霊峰有明山 |
自然豊かな安曇野平 |
安曇野平は北アルプスから流れ出た土砂によってできた扇状地。その雪解け水は扇状地に浸み込み、一日70万トンの豊富な湧水となっています。湧水を利用したワサビ田や信州サーモン養殖池を巡り、荻原碌山が愛したといわれる万水川畔を歩きました。
安曇野には道祖神や野仏が多く、中でも双体道祖神のほほえましい姿には笑みをもらいました。
(俳句) 押し水で育つわさび田冬うらら (俳句) 草紅葉歩き疲れし昼餉どき
(俳句) 返り花アイヌ住みしと花見(けみ)の里 (俳句) 辻辻に道祖神笑む菊の里
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東光寺の大下駄 |
双体道祖神 |
矢原神明宮 |
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万水川畔 |
田淵記念館 |
いたるところにワサビ田 |
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湧水群 |
豊科近代美術館 |
穂高神社 |
2日間歩き終えた後は、バスで来年訪れる予定の穂高神社を見学し、大王わさび園でお土産を買いに帰路に着きました。
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