会山行紀行文
No−T21
グレード:D
2016年
 4月26(火)〜27日(水)
晴れ
(ばんざん)(けんじょうさん)
蕃山・硯上山

379m  520m 
参加者 (紀行文) 1866 S/T 
19名 (俳句) 582 T/K
(男性5名・女性14名) (写真)1908Y/T 2203K/H
≪コースタイム≫(1681:K/K提供)
(4/26)
新潟駅南口(6:10)=磐越道・東北道=仙台宮城IC(9:30)=山岸登山口(9:45)…西風蕃山(ならいばんざん)(11:20)
…蛇台蕃山・昼食(11:45-12:50)…百年の森…萱ヶ崎山(13:45)…梨野登山口(14:30)=三陸道=河北IC=追分温泉(17:00・泊)
(4/27)
追分温泉(8:05)=釣石神社(8:30-8:50)=雄勝登山口(10:05)…水場(10:40)…硯上山(11:00-11:15)…水場(11:35)
…雄勝登山口・昼食(12:00-12:50)=大川小学校(13:20-14:00)=上品の郷14:45=河北IC14:50=三陸道・東北道・磐越道
=新潟駅南口(19:30・解散)
≪紀行文≫
〜〜〜東北の低山と震災の跡を訪ねる〜〜〜

(4/26・火)
 朝日に眩しい磐越道から東北道を経て順調に進み、仙台宮城ICからほど近い蕃山ビオトープの広場に到着。
 蕃山は仙台市街地に位置し幾つもの道があって迷子の恐れもある山ですが、今回は会員の2052・M/Tさんの仙台時代の友人である自然観察指導員の親川麗子さんが、ボランティアで案内して下さるということで安心です。

 自分たちが到着した時には、既に親川さんとご主人、更に下道さんの三人が既にスタンバイして待っていて下さいました。
 早速、挨拶と紹介を終え、山へと入ります。たくさんの花々とブナや楢林など豊かな木々の間を登り、時々、立ち止まって解説をして下さいます。

  (俳句)登る山少し霞みて陸奥(むつ)晴るる

ガイドさんの紹介と挨拶 ナラ枯れ病について教えて頂く

 花の種類や生い立ち、木々の生育の仕方や見分け方など、多岐に亘って丁寧に解説して戴き、参加者もしっかりと耳を傾けてお聞きするのですが、「あまりにも多すぎて覚えきれない」と言うと、「みんな覚えられたら、次から私たちのお役目が無くなります」と慰められてしまいました。
木の生育システムについて 花々について教えて頂く 紫のイカリソウ

 登りは急坂もありましたが、爽やかな新緑の中を、展望台〜西風蕃山(なだいばんざん)〜蛇台蕃山(じゃだいばんざん)と進み、ここで昼食としました。

  (俳句)急登を過ぎさはさはと若葉風

 T/Kさんの野点もあって、ガイドの三人さんは「85歳の方が登られる事も驚きですが、こうしてお点前までとは・・楽山会ってすごいですね」とお褒めを頂きました。

  (俳句)山つつじほつほつ西風蕃山(ならいばんざん)へ   (俳句)雨乞ひの藁蛇は居ず芽吹く峰

西風蕃山 蛇台蕃山 蛇台蕃山にて、野点を頂く

 いろいろと説明を聞きながら、百年森などの素晴らしい樹林帯を通過し、萱ヶ崎山山頂で遠望を楽しんでから茂庭台の梨野へと下山です。
 自然はそのままの方がいい・・・倒木などもそのまま手を加えずあることから、中には道を塞ぐ大木を抱きついて越えたりしながらも無事に下山。 ガイドさんの丁寧なご案内で、仙台の山と自然を満喫することが出来ました。
 ここでガイドさんとはお別れし、一路、石巻市の山間にある秘湯・追分温泉に向かいました。

  (俳句)抱きついて越える倒木蝶ふはり     (俳句)一人づつロープにすがり蕗の谷

萱ヶ崎山山頂、ここから下山 歴史を感じる追分温泉の佇まい

 山間にひっそりと建つ追分温泉は、歴史を感じさせる建物と、榧(かや)で作られた大きくて立派な浴槽が有名です。
 更に、夕食には次々と並んで食べきれない料理の数々、刺身、酢のもの、山菜てんぷら、ホヤ、焼魚、鍋・・・お酒の持込みも許して頂き、満足満足の宿でした。
 「江戸道しるべ」の石碑も残る歴史の宿、また一つ想い出の地が増えました。

  (俳句)追分は刺身づくしに豆御飯    (俳句)散る花に江戸道しるべ残る宿


(4/27・水)
 追分温泉を出てまず向かったのは、東北の中心を流れる大河・北上川の河口近くに位置する「釣石神社」です。
 地上10mほどの崖から張りだした大岩が、大昔から何度も経験したであろう地震や津波にも崩れることなく立派な姿を見せています。

  (俳句)大地震に落ちぬ釣石宮若葉

 5年前の東日本大震災でも微動だにしていない不思議な大岩、落ちそうで落ちないこの大岩が御神体であり、全国からの合格祈願が絶えない神社なのです。
 正面の急な階段を登れば本殿ですが、その階段途中の見上げる位置に津波到達点があります。あんな高くにまで・・・改めて津波の恐ろしさを感じます。
釣石神社の御神体、落ちそうで落ちない 受験生の合格祈願札が満載 階段途中の青い線が、津波到達点

 次に向かったのは、日本一の硯石の産地である旧雄勝町の硯上山です。
 林道を走って着いた登山口では、きれいな広場と満開のソメイヨシノが迎えてくれました。
 硯の原石運びに使った道でしょうか、軽四が走れる程の道が山頂まで続いています。
 ゆっくりと道いっぱいに広がって、会話を楽しみながら登る道端の所々にはマムシ草が咲いています。

  (俳句)まむし草折々ぬっと硯上山

硯上山の登山口、桜満開! 桜をくぐってスタートです 広い登山道、話も弾みます

 やがて、展望の芝生広場と東屋の建つ感じの良い山頂に着きました。眼下に見える雄勝湾の風景、びっしりと屋並みが連なったかっての雄勝港の風景は無く、ただ整地された土地が見えるだけ、ここでも津波の恐ろしさを知ることとなりました。
山頂に到着、広い芝生広場です 眼下にリアス式海岸が望めます 雄勝湾、街並みが消えてしまった…

 時間が早いので山頂で食事は摂らず、奥の回り道から下山します。道の所々には硯の原石が落ちており、かっては活発に採掘されたであろう風景が想像されます。硯の需要が減った上に中国からの安い材料に押されて、既にお役目を終えたのでしょう。

 登山口まで戻って、満開のソメイヨシノの下で弁当を広げ、ゆっくりと花見ランチを楽しみました。

  (俳句)山肌の硯原石若葉道

山頂を後にして、眼下に雄勝の風景を見ながら下山 満開のソメイヨシノ、花見を楽しみながら

 今回のトレック山行、最後の予定は悲劇の舞台となってしまった「大川小学校跡地」の見学です。
 北上川の河口から4kmに建つ大川小学校、生徒74名、教職員10名が津波の犠牲となりました。

 参照(大川小学校の悲劇)http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html

 多角形のお洒落な校舎と渡り廊下でつながった体育館、今は無残に残骸を残すのみとなっています。
 子供地蔵が何体か立つ焼香台がなんとも悲しい、慰霊塔も建っていてたくさんのお花が供えられています。

  (俳句)悲しげに海向く菩薩芽吹く丘

大川小学校校舎 校舎前の焼香台、子供地蔵が悲しい

 3月中旬にこの地を訪ねた時、亡き友に中学卒業の報告に来たのでしょう、真新しいセーラ服を着た三人の女子中学生が、慰霊碑の前ですすり泣く姿を見て、思わずもらい泣きしてしまいました。
 将来ある子供たちがたくさん亡くなった無念の地、親の気持ちを思うと、何度来ても胸に込み上がるものがあり、息が苦しくなります。

 (俳句)新樹光慰霊の鐘を重く聞く

グランドに設けられた慰霊碑、胸が痛みます 校舎のすぐ近くまであった民家も今は無く

 ホンの50mほどの場所に裏山がある。なんでそこに逃げなかったのか?
 学校は地区の避難所になっている、まさかここまで津波はこないだろうと先生は判断したのでしょうか。
 現在、その判断を巡って遺族が県と市を相手に訴訟を起こしています。また、学校跡地は“震災遺構”として保存されることが決まりました。
 津波の恐ろしさが後世まで語り継がれ、二度とこうした悲劇が起きない事を願いつつ、この地を離れました。
アメニモマケズカゼニモマケズが悲しい 教室の黒板がそのまま残っています 慰霊の仏像、消えた集落でも多くの方が・・

最後に、道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」に立寄って、地元産のお土産をたくさん買って帰路に着きました。
蕃山(萱ヶ崎山)でガイドの皆さんと。 硯上山での集合写真

 今回の被災地訪問を企画するに当たって、現地に問合せをすると「たくさんの方に来て戴くことが、私たちの一番嬉しい事です。みなさんでおいで頂き、元気づけて下さい」との言葉を頂きました。
 今回、実際に被災地を訪ねてみて、いろんな被災の様子を見るにつけ、「まさか」や「想定外」という言葉の意味を考えさせられました。
 山も良かったけど、防災の観点からもとても有意義な山旅だったと思います。              (おわり)