会山行紀行文 2016年
 8/23(火)〜26(金)
天気:下記記載
(ほだかじゅうそう)
穂高縦走
3190m(奥穂高岳)
参加者 (紀行文) 2070 S/F
2名
(男性1名・女性1名) (写真) 2070 S/F
北穂高岳(3106m)・涸沢岳(3103m)・奥穂高岳(3190m)・前穂高岳(3090m)
≪コースタイム≫
≪8/23≫(晴れ後曇り)
自宅(4:00)=沢渡P(8:20-8:50)=上高地(9:30)…明神…徳沢…横尾山荘(12:35)泊
≪8/24≫(晴れ後曇り)
横尾山荘(5:15)…本谷橋(6:05)…涸沢小屋(7:50-8:05)…北穂分岐(10:35)…北穂高山頂(10:50-10:55)…北穂高小屋(10:55)泊
≪8/25≫(晴れ後曇り)
北穂高小屋(5:45)…北穂高山頂…涸沢岳山頂(8:15)…穂高岳山荘(8:25-8:40)…奥穂高岳山頂(9:20-9:35)…紀美子平(11:20)
…前穂高岳山頂(11:50-12:10)…紀美子平(12:35)…岳沢小屋(15:00)泊
≪8/26≫(晴れ)
岳沢小屋(5:45)…重太郎新道登山口(7:25)…上高地バスターミナル(7:40-7:55)=沢渡P(8:30-9:00)=自宅(13:00)
≪紀行文≫
〜〜〜思い出の稜線は怖かった〜〜〜
 過去に歩いた日本100名山の内“もう一度歩きたい山”に行こうと思い、先ず初めに穂高縦走を選択した。
 この山系は自身の滑落事故を含め様々な思いが交差する山であり、山小屋の宿泊ポイントでは、今迄深夜に家を出て沢渡で仮眠をして、一泊目が涸沢小屋か涸沢ヒュッテで、二泊目は穂高山荘であり、横尾山荘も北穂高小屋、岳沢ヒュッテ(旧称)も休憩で立ち寄るだけだったので今回はこれらを宿泊(3泊)とする計画を立てた。
 特に北穂高岳山頂からの“夕焼け”と“ご来光”を味わいたくて。

≪8/23≫
 早朝自宅を出てスムーズに沢渡駐車場に到着…!、何か違う!。上高地行きのバス乗り場がない!。
 駐車場前の旅館のご主人に聴くと100mほど離れた場所に専用ターミナルが出来たとのことで、行ってみると立派なバスターミナルが出来ていた。
 予定より早くバスに乗ることが出来、結果上高地バスターミナルにも早く到着。
 早速梓沢川沿いを歩き、近づく河童橋とその景色を楽しんだ。 
北穂高岳山頂にて(写真クリックでMAP)
沢渡の新しいバスターミナル 上高地バスターミナル近く 上高地梓川と河童橋

 河童橋を過ぎ、広い登山道を進むわけだが、横尾山荘まではとにかくダラダラ道が続くが、約1時間毎に明神や徳沢、横尾にそれぞれ山荘や休憩ポイントがあるのでそれぞれ楽しみながら歩く。
明神館前で休憩(食事) 徳沢苑でも休憩 今日はここ(横尾山荘)まで

 宿泊した横尾山荘は今まで単なる通過ポイントだったが、今回は敢えて宿泊することにした。
 風呂もあり、食事も良く良い山荘だった。
 
≪8/24≫
 山荘の朝食は5時からだが、5時に出発したかったので前夜作って頂いた朝食弁当を早々に頂き出発。
 山荘前の大きな橋を渡り、沢沿いの緩やかな樹林帯を進むと吊橋(本谷橋)が観えてくる。このあたりから登山らしくなってくる。
 昔来た時のイメージと違ったのが梶尾本谷出会い付近の大規模に崩れたガレ場で、“立ち止まるな”と書かれていた。
早朝の横尾山荘 本谷橋 “立ち止まるな”の注意書きがあった場所

 梶尾本谷出会を過ぎ、やや斜度のある登山道を登っていくと涸沢に着く。ここで涸沢ヒュッテと涸沢小屋に分かれる。
 今回は北穂高への南稜ルートの登山口が涸沢小屋脇にあることから分岐を右に進む。
 涸沢小屋でヘルメットのレンタルをして、南稜ルートの登山口から北穂高を目指した。
涸沢ヒュッテと小屋の分岐点 涸沢小屋に到着 北穂南稜入口

 以前7月頃来た時は残雪歩きになったが、今年は小雪なのか8月下旬だった為なのか全く雪は無く、歩き辛い急なガレ場を登っていく。

 急な登りの為、眼下の涸沢ヒュッテがどんどん小さくなっていく。
 この頃にはガスが舞い、遠望は勿論近くの前穂高も雲に隠れてしまっていて、辛うじて前穂高の北尾根が観える程度。

 やがて、岩場も急になりストックをリュックに括り付け、両手両足を使って慎重に登っていった。
 雨でも降ればとても危険な場所と思える。
 
北穂南稜ルートのはじめの頃 途中振り返ると涸沢ヒュッテが小さく 後半は結構厳しい登りとなる

 梯子を使うほどの急な岩場を登り、進むと北穂高南峰が立ちはだかってくる。見上げると道標、北穂分岐に着いた。
 ここまで来れば山頂まであと少し、山頂のある北峰の斜面を這い上がると北穂高岳山頂の道標が建っていた。
 しかし、残念ながら濃いガスの覆われ360度真っ白な世界でしかなかった。
このような梯子も ようやく北穂分岐、山頂は近い 北穂高岳山頂(ガスに覆われ何も見えない)

 山頂のすぐ下に、日本で一番高所にある山小屋“北穂高小屋”があり、すぐ宿泊の手続きをとり夕食までたっぷりある時間をテラスで過ごした。
 なにも観えないテラスだがとても美味しく安い北穂ブレンドコーヒーを頂いていると、時折ガスが切れ涸沢や南岳等の眺望が出来た。
 因みに、ここ北穂高小屋はビールをはじめ飲み物、食事、つまみなどが安く、従業員の振る舞いも素晴らしく良い山小屋だった。
日本で一番高所の北穂高小屋 小屋から見下ろす涸沢と前穂高北尾根 南岳が一瞬顔を出してくれた
≪8/25≫
 いよいよ今回のメインルートを歩く朝が来た。
 早朝、空を見上げると満天の星。刻々と変化する空をカメラで収めながら今回2度目の山頂に向かう。
 山頂で待つこと少々、東の空(常念岳の上)から朝陽が顔を出してくれた。素晴らしいご来光だった。
 昨日観えなかった槍も徐々に赤く染まってきた。
北穂高岳山頂から観るご来光(常念岳の左上から登った) 槍ヶ岳にも朝が来た

 一旦小屋に戻り朝食を頂き、早々に出発。今回3度目の北穂高山頂に立った。
 すっかり明けた展望は素晴らしく富士山を含め、今日歩く涸沢岳や奥穂高、前穂高、槍、双六、焼、笠、等360度の大展望を楽しんだ。
再び北穂山頂 涸沢岳、奥穂高岳を示す道標 これから目指す奥穂高岳と前穂高岳

 素晴らしい展望も長居は出来ず涸沢岳を目指して北穂山頂を後にした。
 北穂分岐を過ぎ、涸沢岳への登山に入ると、もう優しい登山道ではなくなった。
 涸沢岳までの約2時間、「三点支持、三点支持」と念仏を唱えるように難所に続く難所を歩いた。
 とにかく一歩間違えば確実に死が待っているのだ。
南峰直下から北峰(山頂)を振り返る 強い日差しを受けながら岩稜を進む 涸沢岳直下から歩いてきた岩稜を振り返る
  
 このルートで一番怖い、最低のコルから涸沢岳への登りをなんとか這い上がると、涸沢岳山頂に到着。
 眼下には穂高山荘、そして目の前には奥穂高、その向こうにジャンダルムや西穂の稜線が望める。
 穂高山荘で水の補給などして、奥穂高岳に向かう。
涸沢岳山頂と眼下の穂高山荘、後方は奥穂高岳やジャンダルム 穂高山荘(後方は奥穂高岳の手前ピーク))

 山荘から奥穂高山頂までは結構急な岩稜歩きとなる。
 そして、登山客も急に多くなる、北穂高と涸沢岳の稜線とは大違い。やっと到着した奥穂高岳山頂では記念写真の順番が気になるほど。
 このころからまた雲が湧き出し、みるみる内に展望が消されていく。
奥穂高岳を目指して 奥穂高岳山頂 山頂を振り返り観る 

 奥穂高岳の山頂を後にして、前穂高岳に向かう。このルートは“吊り尾根”と呼ばれるところを歩くのだが意外とアップダウンが続く。
 昔自身が滑落した場所は思い出せなかった。
 やがて前穂高岳への分岐点“紀美子平”に着く。
 ここから山頂までは約30分程で、殆どの登山者は空荷で登るため紀美子平には多くのリュックがデポされているが稀に大きなリュックを背負った登山者とすれ違った。
 山頂までは結構難儀な道で長く感じ、山頂は広くただ岩がゴロゴロ転がっていて所々にケルンがある。
吊り尾根南稜の頭 紀美子平 前穂高岳山頂

 前穂高岳を後にし重太郎新道を下った。
 この重太郎新道はなかなかの急斜面が続き、疲れた足にはこたえる。
 途中、“岳沢パノラマ”と書かれた展望に良いところに来ると眼下に岳沢小屋が観えたが、ここから小屋までやけに長かった。
 この岳沢小屋は嘗て“岳沢ヒュッテ”があり、大規模な雪崩で全壊してしまった後に建てられたもので新しい。
重太郎新道から岳沢小屋を見下ろす  岳沢小屋に到着 岳沢小屋から前穂高岳方面を振り返る
  
≪8/26≫
 早朝の部屋の窓から観える景色は額縁に入った風景画のようで、左から霞沢岳、中央奥に乗鞍岳、右に焼岳が美しく浮かんでいた。
 ここに泊まって下山する人はごく僅かで、多くの登山者は早々に前穂高を目指して出発していった。
 朝食を済ませ、静かな登山岳沢沿いに下っていくと。岳沢の向こうに西穂からジャンダルムの稜線や奥穂高岳が青空に冴えていた。
岳沢小屋の朝(霞沢岳・乗鞍岳・焼岳) 西穂〜ジャンダルムの稜線を観ながら下山 岳沢から奥穂高岳を振り返る

 途中から早朝上高地を出発したと思われる登山者と幾度もすれ違った。
 小屋から約1時間半、上高地にある岳沢登山口に下山。上高地の景色を楽しみながらバスターミナルに向かった。
岳沢登山口に無事下山 上高地独特の風景を楽しみながら 上高地から奥穂高岳を振り返る

 バスターミナルでヘルメットを返却しお土産を買っていたら、タイミングよく沢渡行きのバスがやってきた。
 沢渡“足湯駐車場”で下車し、駐車場前の「日帰り入浴露天風呂300円」が目に入り4日間の汗を流し新潟に向かった。

 昔、歩いた同じルートだが歳のせいかとても恐怖感を感じた山歩きだった。でも良い思い出のページがまた増えた。

≪今回山行での出逢い≫極一部です。