自然保護活動
レポート・紀行文
2015年
 11.14(土)〜15(日)
共に雨
県山協主催第61回
自然保護研修会

参加者 (紀行文) 2011 Y/O 
59名
(内楽山会6名) (写真) 2011 Y/O
≪楽山会参加者≫  ・14日のみ参加 781 1341 1449   ・14〜15日参加 1630 1394 2011
≪プログラム≫
11月14日(土)会場:おおいし自然館
        15:00 開会式 
        15:15 講演会 「藤島玄氏の蔵書と(飯豊連峰)杁差岳」講師 関川山の会会長 平田大六氏 
        18:00 懇親会       
11月15日(日)会場:川北ふれあい自然の家
         9:30 講演会 「蔵書の整理と分類」講師 佐久間雅義氏・下越山岳会、
                  「飯豊連峰大地図にかけた夢」講師 谷中隆明氏・峡彩山岳会
        11:00 解散                
≪紀行文≫
〔11月14日〕雨
 今回で61回目を数える自然保護委員研修会は県内18団体の参加を得て開催されました。

 講師は藤島玄氏の直弟子の一人だった平田大六氏です。
 杁差岳の開拓にまつわる数々のエピソードを軽妙な語り口で講演が始まりました。
 杁差岳の「いぶり」とは田の畦を塗る木製の農具のことで春山肌に出現する雪形に因むそうです。
 関川村のマスコットグッズのTシャツにもデザインされているので是非買ってくださいと勧められました。

 藤島玄さんは昭和5年(1930)7月に初めて杁差岳を越えて大日岳、切歯尾根を下駄履きで全山縦走の快挙を果たします。
 杁差岳で露営し「7000尺(メートル換算で2000b相当)の上でも雨具着用で天幕なしで寝れるものなり。」と「登山ノート」に残しています。
 藤島玄さんは筆まめの人で、下山すると山行の一部始終をその日のうちに大学ノートに書き残し、その数は生涯で58冊にも及びます。
 亡くなられた後、ご遺族から平田氏へ贈呈の申し出があり、2tトラックで貰いに伺ったら余りに膨大な書籍量で運び出しに2日を要した話とか、その他この紙面では納まりそうもないくらい様々な興味深い話を聞くことが出来ました。
 人の気を逸らさない当意即妙な語り口で居眠りする暇もなく講演は終わりました。
 講演後は平田氏を交えて酒を酌み交わし、夜の更けるまで山談義に花を咲かせました。
18団体63名が参加です 講師は平田大六氏 杁差岳に現れるいぶりの雪形
雪形入りTシャツ買って下さい 軽妙な語りで沸かせます 100年前の初版です

〔11月15日〕雨
 朝から生憎の雨のため立烏帽子登山は中止となりました。
 代わりに川向こうの川北ふれあい自然の家に場所を移して講演会が開催されました。
 その場所とは空き家となった旧川北小学校跡地に藤島蔵書館を開設したのです。

 講師は蔵書館開設に当初から携わって来られた下越山岳会の佐久間雅義氏から藤島蔵書の整理と分類の経緯について話しを聴きました。 膨大な蔵書数は5965冊に及び、その他大学ノート、手紙、写真、新聞切抜き等は逐次PDF化を進められました。
 峡彩山岳会の谷中隆明氏を講師に「藤島玄氏編の飯豊連峰集成図の変遷」と題して説明を聴きました。

 飯豊連峰集成図とは国土地理院発行の1/50000の地形図を貼り合わせて山頂名、沢名を詳細に書き込み、裏面には地質、地形、気象、植物、動物、人文、登山の道徳、登山の注意、登山の照会先、コース案内、山小屋、旅館を集約して当時としては画期的な飯豊連峰登山の手引きでした。

 谷中隆明氏は藤島玄さんの貴重な情報を現在に生かす為に、国土地理院1/25000地形図に山名、沢名情報を移し変える地道な作業に取り組みをされています。

 新潟県の山岳活動振興のために収集された藤島玄氏の蔵書館を大いに活用したいものだと思います。
                       (おわり)
講義風景です
筆まめ記録の藤島ノート 蔵書館のある旧川北小跡 館内風景
玄さんの愛用の品々を展示 愛用のザック類 鋳鉄製アイゼンとテルモス
 愛用のピッケル  これが飯豊連峰集成図です  大陳列棚と蔵書類