会山行紀行文
T-74
2015年
 11.15(日)
小雨
持倉鉱山(阿賀町) 参加者 (紀行文) 2084 S/S
22名
(男性9名・女性13名) (写真) 2051 S/T
≪コースタイム≫
新潟駅南口(7:00)=持倉林道入口(8:30)…持倉鉱山跡(9:20-9:50)…林道入口(10:20)=草倉銅山跡(11:00-11:30)
=赤湯温泉(12:00-13:30)=新潟駅南口(16:00)
≪紀行文≫

 小雨交じりであったが風はなさそうなので決行としました。
 昨秋に来た時は五十母川を3回程渡渉したが、今年は持倉鉱山保存会のお陰で道が整備されており、事務所跡までは渡渉をしないで済みました。
 マスコミでは東の持倉、西の軍艦島とも言われてるらしい。
 江戸期には銀山として開抗し、大正期に閉抗するが戦中戦後は蛍石を産出したそうです。
 残念ながら今回は増水で渡渉が出来ず2km程先の移住区や採鉱区には行けませんでした。
出発前にリーダーの説明 林道入口の日倉橋を渡ります 林道歩き
こういう看板が 川沿いの道を歩きます
看板の下に長靴が 新しい看板とその裏面(持倉鉱山保存会が作成された)
要注意の道を行きます
要注意の道を行きます
鉱山事務所跡に到着です 集合写真
神殿のようなレンガ造りの建物です。立派なレンガですね。
戻ります
戻ります バスまで戻りました

 予定の半分程で済んでしまったので、引続き草倉銅山跡に向かいました。

 こちらも江戸期からの銅山であったが明治になってから古河鉱業の創立者が新技術を導入して栄え最盛期には6千人の人々が暮らしていたそうです。

 大正3年に閉抗となりましたが、足尾銅山の足懸りとなったそうです。

 坑道跡や神社跡・墓場・事務所の石垣などがひっそりと残っていました。

 見学後、そのまま林道を下ると赤湯温泉に着きます。
 ゆっくりと温泉と昼食を楽しんでから帰途につきました。
草倉銅山跡入口です
銅山跡へ向かいます 坑道入口 銅山跡へ向かいます
リーダーの説明。最盛期には
6千人の人々が暮らしていたそうです。
会津の山並みを眺めます 墓所
石垣 神社跡