≪紀行文≫ |
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北国街道は佐渡の金銀を江戸に送るために出雲埼まで整備された道である。
今回の北国街道は福井集落より赤塚までをバスを主体に移動するトレッキング山行です。楽山会のトレッキング山行としては、B/Eリーダーが北国街道 岩室編実施しており、この後弥彦編を実施するので参加した人は弥彦より、佐潟まで繋がる事になる。
寺泊よりさらに北上し新潟を過ぎて出羽街道となり、鶴岡、酒田へと続いている日本海側唯一の街道です。
従って全国を旅した有名人は皆この道を通っている。
昨日まで雨模様でしたが、今日より全国的に晴天で駅南口を定刻通りに17名が出発した。いわむろ屋で1名乗車し総勢18名となる。
ここでトイレをしたり買い物をする。
トレッキングの最初は福井集落の山谷古墳を観るため階段を歩き小高い丘に登る。
4世紀ごろのもので全長37m、県内最古の前方後円墳と案内板に書かれていた。
この後旧庄屋佐藤家の通りを歩き、柚餅子の本間屋に寄り、柚餅子切り落としを多くの方が購入した。
(俳句)街道の道しるべ古(ふ)り柿熟(う)るる 古墳への露草の階(かい)二百段 柚餅子買う古き先赤まんま
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福井:山谷古墳入口 |
階段を登る |
古墳案内板 |
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古墳の上に立つ |
階段を降りる |
江戸後期の旧庄屋(佐藤家)前 |
この先T字路に饅頭屋でバスに乗り、次の長岡藩主牧野家より分家された三根山藩のお墓ある一山寺に向かう。
一山寺の駐車場で降り、寺の左上に歴代14代のお墓がありました。
(俳句)歴代の藩主の墓や萩の寺 道租神頬(ほお)ふっくらと糸すすき
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ここより三十三観音まで歩く、整備されていなく入り口で少し見て、次の三根山藩跡に向かう。
米百俵展示の入徳館に駐車し、入徳館は廃校になった小学校の建物を利用し、米俵の展示されていたが、休館でした。
(俳句)米百表学び舎(や)の跡木の実落つ
道路をはさんで大きな広場があり色々石標が見られました。
この場所が三根山藩跡で平城でした。前は小学校のグランドのようで、いまはサッカー場になっています。 |
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一山寺(三根山藩) |
牧野家の寺院と歴代藩主墓所看板 |
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三根山藩城址の彼岸花 |
三根山藩址看板 |
三根山藩址 |
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三根山藩址 |
この後景清寺、平沢清水により水はゴルフ場の関係かそのままで飲めないと書かれていた。
冷たいかったので少し口に入れたが止めた。
(俳句)街道を切るゴルフ場葛の花 |
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景清寺 |
景清寺の説明看板 |
その跡すぐ弘法清水により皆で冷たい水を頂いた。
(俳句)むしかりの赤き実弘法清水あり
トイレの為、稲島登山口に行き布目の罪人の首を吊るした馬頭観音に立ち寄ったが、入口に地蔵菩薩があり今はお墓がいっぱい見られました。 |
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平沢清水の説明看板 |
弘法清水で冷たい水を戴
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昼食は上堰潟公園で採る予定で、コンビニにより調達し、時間通り到着しました。
管理棟、休憩所の2階に入り、我々貸し切り状態でゆっくり昼食を頂きました。
公園では水と土のイベントのわらアート作品が数多くあり一周。
(俳句)山を背に藁(わら)の恐竜草紅葉 |
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上堰潟公園 |
上堰潟公園のコスモス |
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上堰潟公園で集合写真 |
藁アート |
14:00バスに乗車しラムサール条約に沿って守られている佐潟に寄り、野鳥観察小屋まで歩きました。
(俳句)潟べりの芭蕉の句碑や花木槿(むくげ)
そしてバスに乗車、朝と違い途中参加者を降し新潟駅南に予定前に到着しました。
リーダーは誰でも参加出来るコースを企画してくれ、山谷古墳見学は少しトレッキング登山らしっかった。
こういうトレッキング山行は楽しいものでした。有難うございました。 終わり |
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ラムサール条約によって守られている佐潟 |
北国街道佐潟の標柱 |
ラムサール条約とは、湿地の保存に関する国際条約。水鳥を植物連鎖のの頂点とする湿地の生態系を守る目的で1971年2月に制定さた。 |