TL-19
2015年
5.27(水)
晴れ
裏磐梯湖沼探勝
と喜多方蔵めぐり
参加者
(紀行文) 1862 Y/I
9名
(男性4名・女性5名)
(写真) 1862 Y/I
≪コースタイム≫
新潟駅(7:00)=(磐越道)=猪苗代磐梯高原IC=レンゲ沼、中瀬沼、桧原湖散策(9:30-11:00)=喜多方蔵屋敷あづまさ(12:00-13:00昼食)=蔵のまち散策(13:00-15:30)=会津若松IC(16:00)=新潟駅(18:00)
≪紀行文≫
〜〜〜緑のシャワーを浴びながら湖沼探勝〜〜〜
裏磐梯には磐梯山の噴火により形成された湖沼が300余もあります。今回、そのなかのレンゲ沼、中瀬沼、桧原湖の畔を散策して来ました。
まずはレンゲ沼、小さな沼ですが周囲には遊歩道が整備されておりとても歩き易い径でした。
蝉の声が姦しく、もう夏なのかなと思わざるを得ません。のんびり散策するには素敵な所でした。
しばらく歩くと次は中瀬沼、木々の中にわずかに水面が輝いています。
レンゲ沼よりはずっと大きいのですが、鬱蒼とした木々に覆われているためそこが沼とはすぐには気づきません。
底なしの湿地帯と言う雰囲気でした。
そのわずかに見える水面の奥に何と荒々しい磐梯山の姿がどっしりと映っているのです。素晴らしい景観、印象的な構図でした。
緑のシャワーを浴びながらのトレッキング、少し暑かったけど気持ち良かった。
レンゲ沼は半周、あっという間に通り過ぎてしまいました。
中瀬沼の展望台は素晴らしい眺めです。
写真家は勿論、スケッチに訪れる人が後を絶ちません。この景色を背景にみんなでパチリ。
さらに歩きます。次の目当ては桧原湖、青く澄んだ湖、稚魚の群れがすぐそばに見えます。
遠くにはのんびりと釣りをする人の姿、一筋の白波を立ててボートが走り去る。まるで絵のような風景でした。
この湖を半周するように車で走り、次の目的地喜多方に向かいます。この湖からも磐梯山が良く見えました。
おんや!何か書いてあるぞ?「桧原湖は暮れて磐梯 月に聳つ」? 月明かりに磐梯山がそびえ立っていると言う意味かな。
桧原湖畔にやって来ました。
小さな魚の群れを見つけて大はしゃぎ、きっとワカサギの稚魚だよ。
この足跡何だろう?
ますます怪しい足跡だ。
何のことは無い。この足跡通りに辿って来るとこの絶景。見事です。
それならここで記念写真を撮りましょう。
さて、喜多方は蔵のまち、ラーメンのまち、名水で育まれた米とお酒で知られています。
皆でラーメンセットを食べた後ガイドさんの案内で蔵を見て回りました。
喜多方にやって来たらまずこれでしょう。
喜多方ラーメンおいしかった。ビールもね。
さて、お腹も満たされましたので蔵めぐりに参りましょう。ガイドさんの説明はなかなかです。
この暑さ、興味はあるのですが少々お疲れ気味のようですね。
それにしても想像以上に蔵が沢山ありました。
聞くところ、およそ4100棟と驚くばかりです。ただ、蔵と言っても用途はいろいろ、倉庫だけでなく、店舗(店蔵)、住まい(座敷蔵)、漆器職人の作業場(塗り蔵)、酒・味噌・醤油の貯蔵庫(酒蔵、味噌蔵、醤油蔵)、屋敷の塀(塀蔵)、トイレ(厠蔵)など様々な使い方があるようです。
この町が何故こんなに蔵が多く発展したのだろう?飯豊連峰からの伏流水と米を活かした酒や味噌などの醸造が盛んで、それに蔵が最適だったこと、明治13年の大火の際に蔵の防火効果が見直されたこと、「男40にして蔵の1つも立てられないようでは男でない」という独特な風潮があったこと(耳が痛い)が蔵の多さにつながるのだそうです。
ガイドさんの説明にはまだまだ作り方や特徴が沢山ありましたがとても覚えきれるものではありません。ただただ驚くばかりでした。
蔵めぐり2時間、疲れましたが、参考になりました。まだまだ見たりないのでまた来たい場所となりました。
おわり
それにしても沢山の蔵がありました。喜多方は商業のまちだったのでしょう。歴史を感じます。
蔵はこれでお終いかな、さあさあお入りと売り子さんは熱心です。みなさんお買い忘れの無いようにですと。
最後に訪れたのは“甲斐本家蔵座敷”第一級の風格を持つ国登録有形文化財、いわゆる豪商の館です。