会山行紀行文 2013年
 07.10(水)
晴れ
(えもんじょうやま)
威守松山
1214m
参加者 (紀行文) 2011 Y/O
2名
(男性2名) (写真) 2011 Y/O
≪コースタイム≫ 歩程3時間10分 (休憩含む上り 2:10  下り 1:00)
新潟7:00=六日町IC(R291経由)=清水(8:35)…イガシラ登山口(9:15)…稜線分岐(9:35)…威守松山(10:45-10:55)…ブナ林(1100m付近で昼食12:00)…下山(13:00)=六日町(湯らりあ入浴14:00)=新潟(16:00)
≪紀行文≫
                             〜〜〜巻機山の人気の陰に隠れて不遇を囲っている山〜〜〜

 「清水の東に威守松山というのが記入されている。威守松山なんて変テコな名前は、何かの宛字(あてじ)に違いないと考えて、私は次のような結論を得た。清水は古くから上越をつなぐ間道の要衝であっただけに由緒のある村で、私が泊まった百姓家の囲炉裏ばたでいろいろ昔の話を聞いた。村の草分けは阿部衛門尉(えもんのじょう)と名乗る人だそうで、その系図は和泉屋という旧家に所蔵されているという。それで私の気付いたのは威守松山は衛門尉から来たのではないか。村の近くの山に故人の名を冠することは、しばしば例のあることである。」(深田久弥著「日本百名山」27巻機山)

 上記の一文は皆さんよくご存知の深田久弥先生の大著「日本百名山」27巻機山からの抜粋です。
 威守松山はいつか登りたい山の1つでした。
 その訳は巻機山の人気の陰に隠れて不遇を囲っている山への興味と、山名が「エモリマツヤマ」ではなくて「エモンジョウヤマ」が正しい筈と思っており、その根拠を知りたかったからです。
 それが偶然本屋で立ち読みしていて件(くだん)の記述があることを知ったのです。
 深田先生の本に書かれている文章をなぞる気持ちで出かけて来たと言う訳です。

 関越道を六日町ICで降りR291で清水集落に向かいました。
 威守松山の登山口はすぐ判りました。
 集落の入り口に目に付く看板が架けてあったのです。

 石段を登って巻機権現社に参拝しました。
 神社脇から遊歩道が出ているはずですが登山者が少ないせいでしょうか。
 草茫々で判然としません。

 仕様がないので巻機山の桜坂登山口に近いイガシラ登山口に移動して取り付くことにしました。

GPS軌跡 国土地理院背景地図等データ利用許諾番号2011−005号
集落の入口に看板がありました 先ずは巻機権現社に参拝しました 威守松山の山頂が望めました

 こっちは踏み跡も明瞭でマーカーも付いていてルートを外す心配はありません。

 樹林の急坂を上ること20分で主尾根の稜線に乗りました。

 ブナとナラの疎林の急登が続きます。

 主尾根分岐から1時間30分程で山頂に着きました。

 山頂からは360度の眺望が広がっていました。
草ヤブに隠れた道標
史跡でしょうか? 尾根の分岐に出ました ブナ林の急坂が続きます
山頂につきました 大源太山のトンガリをズーム 天狗岩が間近に見えました

 でも暑いのです。ゆっくり展望を楽しむどころの話ではなく、早々に下って涼しいブナ林でゆっくりランチにしました。

 ランチの後は急坂をどんどん下って1時間程で元の登山口に戻りました。
涼しいブナ林でランチにしました ブナの傍は涼風が通って快適です 木ノ間越しに大源太山が望めます

 下山後は六日町に戻って共同湯で汗を流して帰宅しました。

 今日は梅雨の中休みとなりました。
 県内各地で30℃超の猛暑日になりましたが、威守松山のブナ林は避暑には絶好な涼しさでした。

 念願の威守松山の急坂を紅葉の時期にまた訪れたいと思います。涼しくなったら山頂にゆっくり出来そうですから。
                     (おわり)
六日町の共同湯で汗を流しました 出会った花 ツルアリドオシ5ミリ大の可愛い花です

 登山道で見つけたキノコ類
群生するユウレイタケ 夏のキノコ マスタケ 食感を楽しむキノコです ムササビタケ 食指が動きませんね