会山行紀行文 2013年
 01.03(木)
曇り&雪
(あわがだけ)
粟ヶ岳
1293m
参加者 (紀行文) 1862 Y/I
9名
(男性8名・女性1名) (写真) 1862 Y/I
≪コースタイム≫
新潟(6:30)=除雪端P(8:20〜50)…山ノ神(9:16)…登山口(9:23)…三合目(10:47)…前進限(11:05)…山ノ神(11:45)…水源池(昼食12:05-13:05)…除雪端P(13:10)=新潟(15:00)
≪紀行文≫
                                     〜〜〜粟ケ岳新年登山〜〜〜

 1月3日の粟ケ岳新年登山に自分が誘われたのはもう6年前になります。自分としては7回目ですが、先輩方はそれ以前からやっておられますので、かれこれ10数年続いているものと思います。
 正月3日はまだお屠蘇気分の抜けきらない内、家族も皆集まっているし、自分だけ山に出かけると言うのもすごく気が引けるものでした。しかし、それを振り切って毎年毎年粟ケ岳を目指す、新年の粟ケ岳にはそうさせる何かがあるように思います。

 勿論、厳冬のこの時期ですから頂上に届くのは稀なことです。
 7合目の砥沢のヒュッテまで届くのが半ば目標になっていることも事実です。さらに、自分等だけではそれすら覚束きません。
 地元の山岳会の方やその日集まった方々との共同作業で初めて達成できるのです。そして、湯気のもうもうと立つ小屋の中で、一緒にラッセルし苦労を共にした今日の仲間たちと一緒に、飲み食い歓談するのが家では味わえない至上の喜びなのだと思います。

 さて今年の新年の粟ケ岳やいかに、残念ながら砥沢のヒュッテはおろか3合目の先まで行くのがやっとでした。
 自分の過去6回の挑戦の中で、頂上を踏んだのは2回、8合目までが1回、砥沢のヒュッテ止まり(7合目)が3回ですが、今年は、3合目先までがやっとでした。たったこれだけしか進めないのは初めてでした。

 今年の粟ケ岳はとにかくきつく感じました。
 雪が深い上に、数日前の暖気で下はガサガサ、そして上は新雪なのでとても歩き難く、総勢17名の強力メンバーでラッセルしましたが、一向にスピードが上がりませんでした。その上、年末から年始にかけて日本列島は絶え間なく猛烈な風と寒波、それに多量の降雪に見舞われていました。
 恐らく誰も粟ケ岳に入っていなかったものと思います。踏み跡は全然ありませんでした。少しでも、わずかな凹み程度でも踏み跡が残っているとラッセルは相当楽なのですが今年に限りそれは皆無でした。恐らくそれが一番の理由なのでしょう。

 言葉の表現としましては、3合目先で撤退あるいは敗退となるのでしょうが、とはあれ、すごく満足しています。ワカンを履いての本格的なラッセルは今冬初めてでした。そして目的を共有する仲間たちが力を合わせて前進する。きれいな雪景色は見えなくても、目的地に到達できなくても、心地よい疲れと共に体の芯から満足感が湧いてくるのです。

 来年もまた、1月3日に粟ケ岳を目指します。是非ご一緒にいかがですか。                            おわり

(写真:左)
 お賽銭を入れようにも山ノ神はすっぽり雪に埋もれていました。でも道中の無事は見守ってくれることでしょう。


(写真:右)
 寒々とした第二貯水池です。雪霞の中に先行するパーティーの姿が見えます。この先ですぐに追いつきました。



(写真:左)
 粟ケ岳方面、わずかにこれから歩く稜線が見えましたがすぐに視界から消えました。


(写真:右)
 吹雪の中を懸命にラッセル、総勢17名のパワーは強力でしたが、雪が重くスピードが上がりません。

(写真:左)
 何とか雪景色を撮ろうと思いましたが、この天気ではあきらめです。


(写真:右)
 先頭は息を切らせ汗をかいて大奮闘なのですが、さっぱり進まず、後ろの人は寒さをこらえるのに必死でした

(写真:左)
 3合目に到着、調度雪が止んで袴腰がくっきり見えました。しかし時刻は11時になろうとしています。これでは砥沢のヒュッテまでも届くことはできないでしょう。


(写真:右)
 3合目を少し進んだところで、左からの強風も吹いてきました。残念ながら今年はここまでとしました。グループ毎に隊列を整え下山です。

(写真:左)
 下りは速いこと速いこと、ぐんぐん降りて行きます。寒いので昼食は降りてから戴くことにしました。


(写真:右)
 第二貯水池が見えてきました。お腹はペコペコ、もう一息の我慢です。

(写真:上)
 ダムを渡り、杉林を抜ければ水源池です。頂上はおろか小屋にも届きませんでしたが、良い汗をかき、皆晴れ晴れとした顔をしていました。


(地図:右)
 歩いた軌跡です。(前進端:530m)