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宝泉寺の左手に登山道案内図があった。その表示には“中部北陸自然歩道”となっていた。一般のハイキングコースのようである。
その標識の右手登山道に入る。
杉林をゆったりとした坂を行くと大力山山頂への標識があり石仏に出会った。
どのような言われがある石仏なのか定かでないが歴史のある風情であった。
10分も歩くと昆比羅堂の前に出た。
ここから登りかと気を引き締める。
苔むした道を滑らないように進むと送電線鉄塔に着いた。
ここらあたりからプラスチック製の階段が現れた。
この階段は送電線鉄塔監視維持のための施工であるという。
一見安全のようであるが雨の日には滑りそうな階段である。
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階段を過ぎると軽い尾根歩きになり、大力山山頂が顔を出した。
山頂が見えると元気が出る。
あそこまでだなと思い歩を進めあたりを見渡すと雨の中でも遠方が眺められ、雨中の暗い山行も気が休める。
歩くこと約1時間で大力山山頂に到着した。
魚沼平野が霧中に霞、小出町の町並みを映しだしていた。
山頂には東屋風の小屋があって屋根下にはベンチも整備されていた。
晴れの日にはこのベンチでお弁当を開いてのんびりすると、周囲の眺望を楽しみながら気分爽快になるのだが今日は雨でそれは叶わずであった。
大力山山頂を後にし尾根を下るとならの木があったが色つきはなく紅葉は望むべくもなかったが、赤い実を付けたナナカマドが左右に咲き誇り秋を思わせる。
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10分もすると黒秀の頭山頂への分岐点に着いた。
そこを過ぎ湯の谷城址方面へと歩を進めた。ここから少々登り下りになった。
この付近は戦国時代当時の豪族が堀った切堀(空掘ともいう)があり、その切堀を超すため短い(3〜5m)急登・急下を数か所超え湯の谷城址に着いた。大力山山頂から約1時間の行程であった。
城址は展望がよく遠くの山並みが眺望できその山並みに沿うように中腹にはガスが留まり幻想的な水墨画の世界が広がっていた。
晴れ日には見られないこの光景は雨中山行の楽しみであり至福のひと時であった。
遠く権現山が霞の中でくっきりと見え、魚沼平野や小出の街並みが見渡され戦国武将が領土を守るために、この地に多大な労力を費やし城(砦)を構えた思いを実感した。
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10分位休憩後下山を開始した。
来た道を再び切掘りを超え30分で板木遊歩道分岐に着き、あとはのんびりと下り坂を楽しみ城山トンネル上を越え国道291に出た。
その国道を10分歩きメンバーは1人として遅れもなく無事に宝泉寺到着した。
その後、越後駒ヶ岳を湯に浸かりながら見える(晴れ日に)という“見晴しこまみの湯”で汗を流し、遅い昼食と談笑とで2時間ゆっくり楽しみ、のんびりした雨中山行であった。
以上 |
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