会山行紀行文 2013年
 04.21(日)
雪後曇り
(なきむしやま)
鳴虫山
1104m
参加者 (紀行文) 2117 Y/N
35名
(男性10名・女性25名) (写真) 1630 S/O
≪コースタイム≫
新潟駅南口(6:15)=新鶴PA=郡山JCT=阿武隈PA =白河IC(9:30)=(R4)=那須IC=鳴虫山 登山口(11:45-12:00)…天王山神社(12:10)…登山口=含満が淵 下山口(12:35-13:00)=やしおの湯 (入浴 食事)(13:15-15:00)=高崎JCT(16:00)=新潟駅南口(19:15)
≪紀行文≫
                            〜〜〜真冬並みの寒さで泣く泣く断念…鳴虫山山行〜〜〜

 “鳴虫山”ちょっと変わった山名である。この山はなにかの由来があるのだろうか。
 沢山の種類の虫たちがいて季節ごとに虫の鳴き声が聴けるとか。興味津々の山行である。

 いつものことであるが山行の前日は落ち着かないものである。
 天気が気になってインターネットで現地の天気予報を確認する。北関東以北東北まで日中は雪か雨マークであった。

 小雨の中新潟駅南口を出発したバスは、磐越自動車道〜東北自動車道で目的地に向かう。
 津川までは小雨からみぞれ交じりに変わってきたが、県境付近に来ると吹雪に変わった。
 東北自動車道に入ってからも吹雪は止むことがない。真冬に逆戻りだ。
 特に道路脇の桜の木や花は季節外れの雪を被って寒さに身をちぢめているようだ。

 白河ICの1キロメートル手前で渋滞になった。白河IC〜那須IC間に除雪車が出動しているため通行止めになった。
 止む無く国道4号線を迂回し那須ICへ。
 漸く那須ICから再び東北自動車道に入ったが、この間に大幅な時間をロスしてしまった。予定の行動は無理かなと思った。

 宇都宮ICを11時30分に下り、日光宇都宮道路を経由して日光消防署前で降車。
 ここでNリーダーは、他のリーダー(LL,SL)たちとこれからの行動について相談。

「折角、此処まできたのだから登山口と下山口だけは歩いて確認したい」という思いを伝え、リーダーのみなさんの協力を仰いだところ、全員の了解が得られた。 みんなを集めて以上のことについて説明があった。特に異論もなく全員了解。

 まず、登山口から天王山神社まで往復する。登山口には案内看板があってコースが分かりやすく書いてあった。

 ここから登山道はジグザグの坂道となり、ひと登りで天王山神社に着いた。鳥居をくぐるとその奥の方に小さな祠があった。

 お参りを済ませてすぐ下山。
日光駅前通りから「鳴虫山」登山口へ 「鳴虫山」登り口前

 今度は、バスで下山口の“憾満ガ淵”へ向かう。

 大谷川(だいやがわ)の奇岩、巨石は、男体山から噴出した溶岩で出来たものといわれる。

 川の流れは激しく周囲の景色と相まって夏は涼しさを感じるところであるが、きょうは寒さを感じる。

 大谷川の渓流沿いに面して並んでいる日光の史跡“並み地蔵”は圧巻だ。

 70体余の苔むしたお地蔵様を参拝者が数を数えると、毎回数が違うといわれており、“化け地蔵”とも言われているとか。

 登山口と下山口を確認したところで予定のコースをすべて歩いたことにして今日の山行はこれで終わり。
憾満ケ淵
憾満ケ淵の地蔵様(地蔵さまがずっと並んでいました)
 きょう待ちに待った温泉“やしおの湯”でゆったりと疲れた体を解し、昼食とする。

 帰りは北関東自動車道経由で関越自動車道を通って新潟へ。

 天気は回復しつつあり帰路は晴れ間ものぞかれるだろう。全く天気は気紛れでいじわるだ。

 新リーダーになったばかりのNリーダーにとっては今回の山行は初陣であった。
 満を持しての山行だったと思われるだけに苦渋の決断で断念せざるを得なかったことは不本意だったにちがいない。
 だが、最善の決断だと思っている。

 Nリーダーはみんなに、「私は今回のことでめげるようなことはない」と力強く宣言された。頼もしさを感じたことは私だけではないだろう。

 「人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。歴の中の人々は、自然を恐れ、その力を崇め、自分たちの上にあるものとして身を慎んできた。」(司馬遼太郎)
 人間こそ、いちばんえらい存在だ。と、思いあがってはいけない。私ども人間とは自然の一部にすぎないからだ。

 CL,SL,LLのみなさん、お役目を無事務められたみなさんありがとうございました。
 そして、同行されたみなさんお疲れ様でした。 またお会いしましょう。                    おわり