車窓からピラミッドピークが見えました。
あの山が今日登る尼厳山(あまかざりやま)のようです。登行意欲が湧きますね。
バスは予定より早く登山口の東条(とうじょう)集落に着きました。
左手に聳える尼厳山は右の奇妙山とつり尾根で繋がる衛星峰なのです。
長野地方は晴れ日になりました。
杏の花咲く里と背後に聳える2つの山が織り成す風景は絵になりますね。
さあ、身支度をしたら出発です。
大ケヤキと鳥居を潜ると、長い参道を歩いて先ずは玉依比売神社(たまよりひめじんじゃ)に参拝しました。
「信濃国48座の式内社の1つでその歴史は極めて古い。」と由緒書にあります。 |
歩いた軌跡(GPS)
国土地理院背景地図等利用許諾番号
2011−005号
(クリックで拡大) |
|
|
|
|
恒例新人さんの自己紹介です |
参道を歩きます |
安全登山を祈念しました |
|
登山道は神社の脇から始まります。
尾根に乗るとイノシシ除けのフェンスが現れました。
中に入ったら最後の人が閉めるのです。
さわやかな尾根歩きが続きます。 |
|
イノシシ除けの金網がありました |
|
気持ちいい山道の登りです |
石の地蔵さんが立つ辺りから急登になりました。急斜面をジグザグに登っていくと岩場が出て来ました。
大岩が累々と重なって壮観です。鎖場もあります。高台に立つと皆神山(みなかみやま)と松代の市街が一望できました。 |
|
|
|
石仏がありました |
巨岩帯を登ります |
リーダーが説明をしてくれました |
「山頂はもうすぐだよ。ガンバレー!」とリーダーから声がかかりました。
尼厳山は武田・上杉の戦国時代に戦略上の拠点となった尼厳城があったことでも知られています。
山頂直下には空堀跡がありました。急峻な地形で堅固を誇っていたに違いありません。
間もなく頂上広場に着きました。素晴らしい眺めです。長野市街が見渡せました。真っ白な高妻山や戸隠連峰も遠望できます。
少し早いランチになりました。 |
|
|
|
長野市街が一望です(写真S/Tさん) |
ベンチで仲良く |
楽しいランチタイム |
|
楽しいランチタイムは瞬く間に過ぎました。
ランチの後は奇妙山に向かいました。
転げ落ちそうな急坂を慎重に下ります。
奇妙山までは樹林の長い登りが続きました。
山頂には大日霊神と彫られた大岩と石祠がありました。
修験の山のようです。
|
|
樹林の中を登ります(写真S/Tさん) |
奇妙山頂にて |
苦しかった登りも下りに転ずると速いのです。あっという間に岩沢分岐を過ぎ岩沢登山口まで下りて来ました。
登り始めと同じように最後の人がイノシシ除けの金網柵を閉じました。
杏の花咲く山里を花を愛でながら、長閑な集落内をぶらぶら歩いて登山口の東条集落の駐車場に戻って来ました。
今し方登ったばかりの尼厳山と奇妙山が後ろに大きく見えました。 |
|
|
|
最後にイノシシ柵を閉めました |
皆神山を見ながら下りました |
赤、白、黄色と春色満開です |
下山の後、バスで象山地下壕に向かいました。町中を10分ほど歩きます。
風致地区の町並みは「真田十万石の里」のイメージに合わせて家々の塀はみな黒塀なのです。
武家屋敷風でなかなか雰囲気がありますね。
程なく象山地下壕(ぞうざんちかごう)に着きました。これから約30分の地下壕見物です。
松代象山地下壕は太平洋戦争の遺産なのです。
終戦末期、軍部が国内決戦に備えて大本営を東京から松代に疎開する計画がありました。
終戦の日まで3百万人を動員して突貫工事を進めたのです。象山の地下深くに碁盤の目のように掘り抜かれた大地下壕が残ったのです。
30分後、地上に戻った時には胸に重く迫る思いがありました。みなさんも同じ気持ちだったに違いありません。 |
|
|
|
常山邸の前を通ります |
地下壕奥へ進みます |
驚きと戸惑いの複雑な心境に(写真S/T) |
このあと松代温泉でゆっくり湯に浸かって1時間くつろぎました。
温まる泥湯です。ぷーんと泥の臭いがしました。
さっぱりしてバスの人になりました。
お酒も入っていい気分になれば、自然と歌が出ます。車中は歌声喫茶になりました。
山の歌で盛り上がったことは言うまでもありません。
おかげで長距離バスの時間も退屈するヒマもなく、あっという間に新潟に着きました。
今日は盛りだくさんのメニューで楽しく、思い出に残る山行ができました。
リーダーさん始めSL、班長、会計さんに同行された皆さん、ありがとうございました。
(おわり)
|
|
山の歌で盛会になりました |
|
|
尼厳山集合写真(写真S/Tさん) |
奇妙山集合写真(写真S/Tさん) |
|
|
|
|
|
|
|