会山行紀行文 2013年
 01.24(木)
曇り後晴れ
(にいつきゅうりょう)
新津丘陵
83m
参加者 (紀行文) 2011 Y/O
28名
(男性7名・女性21名) (写真) 2100 Y/O
≪コースタイム≫
東新津駅(7:45-7:55)…秋葉公園(8:15)…熊沢公園・東屋(9:20−9:30)…小口若宮廟(10:20−10:30)…新関駅(11:00-11:30)=馬下駅(12:00)…馬下保養センター(12:25-15:00)…馬下駅(15:20)=新潟駅(16:00)
≪紀行文≫
                              〜〜〜初めてのトレッキング、実に楽しかった〜〜〜

 新津丘陵のトレッキングに参加しました。
 JR東新津駅を起点にして秋葉山から熊沢公園を経由して小口の観音山まで歩きます。天気予報はくもり一時雨です。

 東新津駅に着く早々に雨が降り出しました。先ずは草水の住宅街を通り秋葉山を目指して出発です。
 草水(くそうず)とは石油の古称です。明治初期にこの辺一帯は石油の手堀採掘が盛んに行われていたのですね。
 秋葉山の山名は新津の庄屋桂様が山頂に創建した秋葉神社に由来します。
 ご祭神は「からす天狗」の姿で現れる火防・水防の神・秋葉大権現です。

 秋葉公園のつづら折の道を登って山頂の給水塔に着きました。残念ながら見晴から五頭山方面は雲の中です。
出発早々雨が降り出しました 色とりどりのレインウェアがきれいです 山頂の給水塔にやって来ました。雪が多いです

 一旦下って熊沢トンネルに向かいます。「旧石油手堀井戸」(市文化財)の標柱が立っています。
 小沢を渡り杉林の急坂を上ると採掘跡の井戸がありました。
   【石油の香して油田跡雪の積む】(本紀行文中の俳句提供は会員T・K女史です。)

 熊沢トンネルは採掘した石油樽を新津川の船着場まで運ぶための洞門でした。
 明治35年にトンネルの視察に来県された大正天皇(当時は皇太子殿下)の記念碑が熊沢公園に建っています。  
手堀井戸跡を覗き込みます。深そー トンネルの中を歩いてみました 熊沢公園の東屋で一服です

 熊沢公園の東屋でゆっくりと一服するころには雨もあがり青空が覗き始めました。
 ティータイムの後、集合写真を撮って若宮廟の建つ観音山に向かいました。
 木漏れ日の差し始めた杉林を歩いて行きます。
  【杉落葉踏み雪踏み山巡る

 山間(あい)の沼のある場所に出ました。湖面に木々が映って絵になりますね。ここで一句。
  【冬木立写して池のまっ平

 道はここから直角に右折して観音山の尾根道になりました。
木漏れ日の差す遊歩道を歩きます 池面に写る木々の影を見て一句です 観音山へ尾根道を登ります

アップダウンを繰り返して山頂に登ると若宮廟のお社が見えて来ました。

 若宮廟とは承久の変(1223年)で失脚して佐渡へ配流となった順徳上皇の第一皇子(みこ)「広臨(ひろみ)親王」を祀った社です。
  【父思う若宮陵や雪深し

 天気はすっかり回復しました。山頂からは雪の五頭連峰の眺望が広がりました。
  【雪の五頭きりりと青き空へ伸び
若宮社にお参りします 五頭連峰の眺望が開けました

 麓に古刹がありました。大神宮と観音堂です。石段を下ると年代を偲ばせる仁王堂があります。
 「あ・うん」の形相で観音堂を守護する金剛力士像は1744年の創建です。

 参道を通って若宮橋に出ました。小春日和になりました。 橋上から川内山塊と粟ケ岳、守門岳がきれいです。
  【音もなく苔洗ひをり寒の川
  【鴨百羽若宮橋に集ひきし

下山の後は五泉街道をJR新関駅まで歩きました。
古刹観音堂の龍の彫刻が見事です 仁王像は1744年創建です 小春日和になりました

 磐越西線は本数が少ないので次の電車まで1時間待ちです。

 馬下保養センターでゆっくり温泉に浸かり楽しいランチになりました。
 部屋を借り切って、いつものように盛会となりました。

 楽山会名物の持ち寄りの手料理が次々回ってきます。

 今日は全員に抹茶にお菓子付きの振舞いがありました。

 茶せんにお茶碗に茶道の道具一式を担いできてくれたのです。

 お茶に俳句に多士済々です。

馬下保養センターに向かいます
お茶を立てて頂き、美味しく頂いてます(お菓子付です。全員に回りました)

 トレッキングは初めてですが、実に楽しい山行でした。

 リーダーさん、参加された皆さんありがとうございました。皆さんの余裕というか新たな山の楽しみ方を教わりました。
                              (おわり)

(クリックで拡大)
熊沢公園の東屋で集合写真