登山口は「仲仙寺」です。
【伊那市観光協会ホームページ】によりますと
弘仁7年(816)今から1100年以上の昔、慈覚大師は夢のお告げで信濃に下り、霊木を得て十一面観音像を刻みました。
観音様を刻んだ木片に写経し、 経塚を作って納めたところから、その山を「経ヶ岳」と言い、その麓に観音様をご本尊として開山したのが仲仙寺のはじまりと伝えられています。
開山当初は今 とは別の場所にあったといわれ、寺名も「藤宝.寺」といいました。
|
|
登山口の仲仙寺 |
|
大きな山門をくぐって、自然遊歩道と道を分かつ処から登山道に入ります。
最初はカラマツ、ミズナラ等の樹林帯で、風も通り気持ちの良い歩きです。
ようやく4合目の標識。
4合目から5合目に入ると、期待はしていなかった秋の草花が次々と出てきます。
カメラを向けて、足はなかなか進みません。 |
|
登山道入口付近 |
4合目 |
昨日の戸倉山では他の登山者にも多く出会いましたが、さすが「玄人好みの山」とガイドブックに書かれているように、本日の登山者は私たちだけかな?と思っていると後ろから男性二人連れが追い越して行きました。 先導者が居て、良かった!良かったというところです。
5合目、7合目と休憩を適宜とり、次第にジグザグの急登を登ります。
7合目を過ぎた辺りから「きっと、あれが経ヶ岳だね!」と。 まだまだです。
ところどころ登山道が笹に覆われています。おまけにトラバースの道は片側に傾いていて、傾いている先は谷底です。
笹を避けながら、傾く道を用心して歩かねばなりません。
ようやく8合目です。
この経ヶ岳が丁度ある一角は「南箕輪村」の飛び地になっています。
「望郷」と書かれた石碑は地元南箕輪村中学校で行われる「競歩登山」を記念して設置されたのだそうです。
故郷を何れ出ていく少年に、故郷のこの山を忘れないように、との思いが込められているのですね。 とは私達の推測ですが・・・
8合目から見た山頂方面が、まだまだ、遠くに見えます。 |
|
|
|
7合目を過ぎた辺りからの展望 |
漸く8合目です |
山頂はまだまだ |
少し先へ進んでみると、グ〜〜ンと下り、登り返して山頂で。40分+40分は掛かるとのことで、同行者2人は、私達は此処で休んでいるからOさんだけ行ってきて良いよと言います。
う〜〜ん、私も行く気が萎えてきます。
まして此処から先は笹が胸まで覆われているとのことで、此処でジ・エンドにしました。
さて、お昼を食べながらグルリと山座同定しますが、生憎、上部は雲に覆われています。
|
|
山頂に向かって、左、眼前が木曽駒ケ岳、宝剣岳方面。 |
|
此処は360度展望の地です。
後ろ側、つまり登ってきた方面が伊那谷と南アルプス方面が、昨日登った形良い山、戸倉山が、そして、中央アルプス方面と対峙して八ヶ岳方が見え、 上手い具合にヤナギランが咲き残っていました。
ピークハントに拘らなければ、8合目までで、展望を楽しむという手もあるのですね。 |
|
|
|
伊那谷と南アルプス方面 |
真ん中に形良い山、戸倉山が見えます |
八ヶ岳方面 |
私たちを追い越していった男性二人は神戸から来たそうで、昨日は三ノ沢岳に登ったと言っていました。
やはり、8合目から先は、大変だった!と話していましたので、行かなくて正解でした・・・
仲仙寺から出迎えてくれた「彼岸花」「秋明菊」を始めとして4合目から5合目に掛けては本当に花がたくさん咲いていました。
いつもですと、寺院には参拝して帰り。なのですが、今回の同行者には「御朱印」を集めている方が居まして、3人で参拝後、御朱印を頂いて帰りました。
実は、御朱印を頂くのは、私は始めてでした。
<後日談:9月25日御朱印帳を求めました> |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|