≪紀行文≫
〜〜〜 地附山俳句紀行 〜〜〜
初夏の7時はすでに日が高い。快晴の登山日和に恵まれてバスは出発した。 ”右に藤左に卯木高速道” リーダーのジョーク混じりの説明を楽しみながら、新井PAに着く。途中乗車のKさんを乗せ、程よい人数が揃う。 地附山”地滑り観測センター”の駐車場でそれぞれの登山準備を整える。 出発前のミーティングで、2000番以降の新人さんたち5人の自己紹介があった。
子供に近い年齢の人たちと一緒にトレッキングができるなんて、とても幸せだ。 |
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快晴の正面に妙高、火打 |
地すべりメモリアル公園 |
市街地を眺めながら・・・ |
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登りやすい道が続く |
だんだん眺めが良くなる |
案内板が要所要所に |
登山口までの10分ほどは、長野市街地を見下ろしながらアスファルト道を歩く。 ”山脈(やまなみ)の囲む県都や夏霞” 登山口から間もなく、駒形嶽駒弓神社に到着。山行の無事を祈って、手を合わせる。 少し急登とのことだったが、松葉の散り敷く道は心地よく歩きやすい。程なく緩やかなヤマブキロードとなる。 ”崩るるを防ぐ山吹咲き満ちし” |
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駒形嶽駒弓神社 |
ヤマブキロード |
たんぽぽの綿毛もきれい |
咲き残る花を楽しみつつ時折は街を見下ろしながら歩くうちに、新緑に包まれた地附山の山頂に到着する。 山頂で少し早目の昼食となる。Nさんが湧かして下さった熱いお湯で香り高いお茶を楽しむことができた。 ”緑陰の峯の野点や笑み栄ゆ” 昼食後は、「いにしえコース」と名のつく桝形城跡の周遊。戦国時代の城らしいが謎が多く、はっきりしないそうだ。 ”残るもの無き城跡の若葉風” 更にコースを進むと、「前方後円墳」がある。奈良などの後円墳から考えると、大きいほうだと思う。 ”発掘の杭ある古墳山つつじ”
「郷愁コース」へ出て、木々の若葉が作る木洩れ日のトンネルを下山。たんぽぽの花と綿毛が共に揺らぐそよ風に汗ばんだ体が快い。 |
駐車場に戻り、靴を履き替えて地滑り観測センターを見学。 係の方が、いろいろと災害発生時の様子や、その後の工事の仕組みや取り組みを説明して下さる。 その災害の大きさと災害を防ぐ工事の大きさに驚く。 ”葉桜の山地滑りを語り継ぐ” |
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地滑り観測センター |
ジオラマなどの展示も豊富 |
熱心な説明に聞き入る |
その後、バスで松代地区へ移動。 戦争末期、危険の迫る東京から、国の中枢である皇居や大本営を松代へ移そうと計画して堀った地下壕を見学する。 地下壕のことは聞き知っていたので、見る機会を得たことが嬉しく、時間を気にするリーダーに速足で続く。
入口から、壕の高さも幅も思ったより大きい。他のグループもいて混雑しているし、壕も広大なことから途中で引き返す。 |
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大本営跡入口 |
坑内、観光用に照明あり |
当時のままの横穴 |
ベトナムで見学した地下壕に較べ、岩盤もしっかりしいてるし幅は2倍を超す。 その事実に、戦争を体験した者として言葉にならない感動がこみ上げる。 ”戦争の傷跡の壕著莪(しゃが)咲けり”
壕の外は、マリーゴールドやつつじが咲き誇る。何故か蕾の著莪が目を引いた。 |
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(帰路、角田山に沈む夕日) |
時間が少しオーバーしたので、帰途を急ぐ。
”山旅の果てて夏日の山に落つ” リーダーに、楽山会に、同行者にひたすら感謝。 (おわり) |
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山頂での集合写真 |
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