会山行紀行文 12.05.06日(日)

晴のち大雨と雷
至仏山
2228m
参加者41名
(男21・女20)

(紀行文2044 S/H
(写 真)1919 K/S 2044 S/H 
≪コースタイム≫
  新潟駅南口(6:00)=鳩待峠(9:35-9:53)…標高1750M地点(10:30)…鳩待峠(10:51-11:08)…尾瀬ヶ原途中(11:25-11:47)…
  鳩待峠(12:20)=花咲の湯(13:10-14:10)=新潟駅南口(17:30)
≪紀行文≫
                       〜〜〜残念大雨とカミナリ、来年必ずリベンジ!〜〜〜

 私のお気に入りの残雪期の至仏山、リーダーとして初めての山行に選んだ。夏の至仏山は滑り安い木道と石、それに段差の違う階段、
登山道の周りは高く伸びた草や木々で景色をさえぎる。それらをみんな雪の下に隠してくれ、硬くなった雪にワカンは必要なく、周りの景色
を堪能しながら傾斜の緩い登りだけの冬道、そんな至仏山の雰囲気を味わえたらと願っていた。

 今年のゴールデンウィークの後半の天気予報はめまぐるしく変わった。上空に大寒気が押し寄せ、不安定な天気が続くと。
 でも前日の午前11時の気象庁のHPを見て、群馬県北部は午前中晴れ、午後から雨の予報だった。それなら午前中の晴れのうちに頂上
まで行き、天気が悪くなる前に下りだす、昼食は樹林帯に下りてからという予定を立て、この山行に参加していただく大先輩二人に電話、
承諾を得た。決行が決まった。

 その日の昼のニュースが北アルプスでの三件の遭難事故を報じていた。翌日登る至仏も同じ雪の山、標高も大差ない。キャンセルの電話
が何本か来るものと思っていたが、なんと一本もなかった。責任重大だ。

 当日、バスは予定通り鳩待峠に、本来この日、一般車両は戸倉で通行止めだが、この日は登山者やスキーヤーが少ないのか通行可能、
やはり北アルプスの遭難事故と天気のせいか。でも鳩待峠は青空さえ見える晴れ、これから2時間でいいから、このままでいてくれと。

 みんなに集合してもらい点呼、そして歩き出す。ゆっくり歩くとは言っていたが、やはり天気が気になる。自然と足が速くなる。でもそんな
そぶりは見せてはいけない。20分して雨が降り出した。だんだん強くなり、休憩を取り雨具の着用してもらう。LLと相談、とりあえず前進しょうと。
これから歩く大雪原 このときはまだ青空が 横には至仏山頂も見える

再び歩き出したら今度はカミナリ、最初は光と音の間隔は4秒、それが3秒になり、やがて2秒になった。
 前進をやめ、SLとLLに集まってもらって協議、これ以上の登りは危ないと断念、引き返すことにした。このとき10時30分。

 家に帰って知ったことだが、この日は関東全体で大荒れの天気、竜巻、突風、カミナリで死者を含む多くの被害が出ていた。
 新潟もカミナリがひどかったと。

 帰りは早い。アップダウンのない緩やかな下り、11時前には鳩待峠に、山荘で少し休むとなんと青空が、時間も早いので尾瀬ヶ原の方へ
少し下った平らなところで昼食をと、再び歩き出す。

 15分ほど下ったところの平らなところで昼食、登れなかった至仏を見ながら1時間をそこで過ごすことにした。
ところが20分したら突然の雨、慌てて帰り支度、雨の中、鳩待峠に戻る。バスに乗り花咲の湯に、そこで温泉にゆっくり浸かり新潟へ。
カミナリと雨の中撤退 鳩待峠に戻ると晴れて至仏山が見えた 昼食の途中、再び撤退

初リーダーとしては失格だなと思って落胆していたが、来年リベンジをと意見多数、頂上までは行けなかったが残雪期の至仏を知った多くの
会員の貴重な意見がありがたかった。よし来年こそ。

 心残りが一つある。この会のリーダー、その山行で雨にあたると、そのリーダーの山行は雨が付いて回ると聞いていた。
 そんなジンクスは破ってやる。私は晴れ男、久しぶりの悪天候の山登りだったが、今度は晴れる。

 参加してくれた皆様、先輩方、これに懲りず、またいっしょに山に登りましょう。

 翌日の5月7日、新潟はうそのように晴れた。おそらく至仏山も晴れていただろう。でも至仏はこの日から自然保護のため登山禁止、解除
されるのが7月1日の夏山。そして再び雪が降り、戸倉からの道路、冬季交通止が解かれる4月下旬からの連休に至仏山はどんな姿で私たちを
迎えてくれるだろうか。(終わり)
(ご参考)下記はHリーダーが昨年同時期に登った至仏山の写真です(来年は必ずリベンジ!)