≪紀行文≫
〜〜〜春の息吹を感じながら楽しく歩いた能登の山〜〜〜
暑さ寒さも彼岸迄と云われますが、今年は例外で20日には降雪があった。そんな中22日〜23日と奥能登の低山を訪ねる山旅に参加した。
昨年も計画されたが、東北大震災の為に中止となり、改めて今年実行されたもので、初日の山は薄曇り、二日目も下山中に少し降られた
ものの、この時期としては概ね天候に恵まれた山行となった。
参加者は47名、大型バスに乗って北陸高速〜能登有料道路を経由して、まずは能登半島西部にあるユキワリソウの自生地として有名な
猿山・330mに登る。ここは、「能登半島国定公園特別保護地区」に指定されている。
昼近く登山口の「娑婆捨峠」に到着。準備を終えて、入山料300円也を払って整備された道を行く。 |
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猿山岬駐車場。入山料を払う |
娑婆捨峠(シャバ捨て峠)から登る |
乾いて快適な登山道 |
しばらく登った猿山岬灯台下の広場で昼食を済ませ、雪割草の群生地へと進みます。
登るにつれ左右に、白、ピンク、紫と可憐なユキワリソウが咲いていた。
新潟のユキワリソウより、ひと回り小さいようだ。このユキワリソウは、キンポウゲ科で葉の先端が鋭いかたちのミスミソウ(三角草)と丸味を
おびたスハマソウ(洲浜草)とに大別されているとか。
足下にはいりくんだ岬に、白波が押し寄せて、雄大なロケーションが拡がっている。(今年は寒いので、最盛期が1週間程遅れているそうだ)
猿山の山頂を踏んで娑婆捨峠に下る。周回出来るので効率よく楽しむ事が出来た。
≪猿山にて≫◇下山には また別の顔 雪割草 ◇海風に 雪割草 小さく揺れ ◇能登の浜間 間垣彩る ふきのとう
そして、今夜は輪島泊まり。「民宿・海辺」を貸し切っての夕食時は、久しぶりに逢った仲間たちと和気和気あいあい、さながら同窓会のようだ。
大いに盛り上がり、お酒もずいぶんはかどった。
≪宿にて≫ ◇手作りの 味嬉しき 春の宿 |
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猿山灯台 |
広場で昼食、温かかった |
雪割草・白とピンク |
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猿山山頂 |
最盛期には雪割草で埋まるという |
翌23日、輪島名物の朝市を見学。近在のおばちゃんたちの店を冷やかし、各自、土産物も買い込んでから、更に北上して岩倉山・357mへ。
輪島市街地から曽々木海岸に至る海岸線を走る国道は、どこを見ても風光明媚、所々によく整備された駐車場もあり全体が観光地と
なっている。
途中、白米(しらよね)千枚田に寄り、登山口の曾々木海岸に到着。足元を波に洗われて立つ奇岩・「窓岩」から登り始めると、すぐに急登と
なった。 |
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輪島名物・朝市風景 |
白米千枚田、1004枚あるとか・・・ |
曽々木海岸「窓岩」 |
ウグイスが、私達を歓迎するかのように、いい声で鳴いている。足元には春の使者フキノトウが萌黄色の顔をだしている。
春が近く迄来たんだと嬉しくなった。早速、山菜好きの面々がわーっと歓声を上げて摘みはじめる。
その後も急登が続き、賑やかだったお喋りも止んで、皆んな静かになった。心地良い汗をかいた頃357mの岩倉山々頂に到着。
落葉樹に囲まれ三等三角点がひっそりと立っていた。
≪岩倉山にて≫ ◇浪音に 和し急登の 青き踏む ◇春の能登 千体地蔵の 道けわし ◇春の波 寄せくる能登の 千枚田
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窓岩パークから登り開始 |
春浅い道を登る |
岩倉山山頂の三角点 |
下りは「千体地蔵」が祀られているコースへ。ここも周回出来るので変化に富んでいて
楽しめる。
立ち寄った千体地蔵は、流紋岩が柱状節理に聳えており、永年に亙って風雨に
晒された為、あたかも千体の地蔵様を祀ったかのように見えることから、名付けられたとか。
歩ける幸に感謝して合掌。
この頃には予報どうり雨が降り出したので、急な階段を慎重に下って、全員無事下山。
帰路、平家の末裔・上時国家(かみときくにけ)に立ち寄り見学。
(今から800年前、平清盛の妻、時子の弟が先祖)
丁度、NHK大河ドラマ『平清盛』が放送中なので、全員熱心に見学する。
今の当主は数えて25代目とか。今の建物は、180年前に建造され完成迄に、28年を
要したそうです。
(国指定重要文化財に指定されている)
こちらで昼食後、本降りとなった雨の中、有意義な時を過ごした奥能登に別れを告げた。 |
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展望台からは、窓岩が足下に望まれる |
自然の造形「千体地蔵」 |
重要文化財「上時国家」正門 |
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集合写真・A組(1-3班) |
集合写真・B組(4‐6班) |
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長い道中の能登半島への山旅だったけど、たくさんの仲間とお喋りしながらの道中は、とても楽しかった。 (おわり) |
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