会山行紀行文 11.04.27日(水)
晴れ
  NO.26 
嵩山(群馬)・789m
参加者
29名(男10・女19)
2052 M/T

≪コースタイム≫
 新潟駅南口6:05=道の駅たけやま駐車場(表登山口)9:25〜天狗の広場9:55〜小天狗10:00〜天狗の広場
 10:15〜胎内くぐり10:20〜経塚10:50〜五郎岩11:05〜大天狗(嵩山)11:30〜経塚・昼食(11:55-12:55)
 〜公園登山口(13:20-14:00)=岩櫃城温泉・入浴(14:15-15:15)=新潟駅南口18:20

          〜〜〜 お楽しみ一杯の嵩山(たけやま) 〜〜〜

 今回の会山行「嵩山」は、当初の計画では福島県内の山が予定されていましたが、東日本大震災の影響により、急遽ターゲットの山を変更して実施されたものです。
 東日本大震災の被災者の皆さんに、改めて心よりお見舞いを申し上げます。

 心配された天気も快晴に恵まれ、29名元気に出発。
シバザクラにレンギョの花、100匹の鯉のぼりが登山口でお出迎えです。大きな鳥居をくぐってジグザグと登ります。岩登り禁止の看板には「ここは死者の魂があつまる霊山」との文言もある。登り始めて10分ほどではや五合目、新幹線並みの速さです。

嵩山 シバザクラ 岩登り禁止の看板
 展望台で一休み、「道の駅」が眼下に広がります。
これより少し登ると天狗の広場。あずま屋、トイレがあります。ザックをおいて小天狗へ。小天狗の小さな頂きに登るには、混み合っていて順番待ち。再び天狗の広場に戻り、胎内めぐりへ。
天狗の広場 目指す小天狗 順番待ちの小天狗
 さあ、いよいよお楽しみの「胎内くぐり」です。
「息を大きく吐いて〜、おもいっきり胸・腹へこませて〜、ぺったんこになって〜」と忙しい。あぁ〜なんとか通り抜けできました。あとは気を付けて鎖で下ります。なにやら通れなかった人が1名いたとか…。
胎内へ 思ったより狭い 最後は鎖で

「中天狗」を通って実城の平(無上の平)に出ます。
たくさんの石仏は、嵩山城の落城時に命を落とした人々の墓にあたるらしい。手を合わせ経塚へ、すぐに五郎岩へ向かいます。五郎岩の上からはこれから目指す大天狗が良く見えます。経塚へ戻り、いよいよ今日のハイライト大天狗への挑戦です。

実城の平 五郎岩へ 目指す大天狗
 大天狗の頂きまでは岩登りです。
慎重に一歩一歩、大天狗の大岩に立てました。バンザイ! 大天狗が嵩山の山頂になります。標高が789mと覚えやすい。山つつじの花が一輪、ここより飛び降りた武者達を供養するかのように咲いていました。
大天狗への岩場 大天狗でバンザイ 山つつじの花
 「経塚」での昼食は、胎内くぐりの苦労話で盛り上がりました。ゆっくり過ごしたあとは東登山道から下山。
大きく迫る岩壁に沿って下ります。一升水、弥勒の穴は眺めるだけで、早いです、もう道の駅が見えてきました。鯉のぼりがお出迎えです。
 
一升水 弥勒の穴 鯉のぼり

 大震災の影響で変更された山でしたが、天気にも恵まれて、とても楽しい一日となりました。

 リーダーありがとうございました。同行の皆さん、お世話になりました。

 帰りは岩櫃城温泉で汗を流し一路新潟へ。






(大天狗山頂での集合写真)
         ==========嵩山と嵩山城(ウェブより抜粋)==========

 古代から祖先の霊魂を祀る山を「たけやま」と呼び、嵩山は死者の霊が山の上に集まる神聖な「霊山」として、吾妻盆地の各地から信仰を集めていました。また、この山には神様がいて、春には里におりて田畑の神となり、実りを与えてくれるとされていました。
 縄文式文化時代の遺跡も多く、「嵩山の神(和理大明神)として子持山の神を妻とし、鳥頭明神を子供として吾妻地方の中心的な神となっていた」と、神々の縁起を集めた『神道集』には記されています。
 また、嵩山は天狗の住む山とも言われ、現在でも東の峰を大天狗、中の峰を中天狗、西の峰を小天狗と呼んでいます。

 嵩山城は、室町時代の中期に長尾景仲が白井城に拠って北関東一帯を押さえていた頃、この白井をとりまく友城のひとつとして開かれました。その後、岩櫃城主・斉藤氏が近隣を手中にするに及んでこれと手を結び、岩櫃城をとりまく出城とし重要視されました。
 戦国時代の永禄61563)年には、吾妻地方の領主・吾妻太郎斉藤越前守が、武田信玄方の上田城主・真田幸隆(幸村の祖父)に攻められて没落し、その子・城虎丸(じょうこまる:18歳)を擁した吾妻衆が、上杉謙信の支援を受けて嵩山城に立てこもりました。しかし永禄81565)年11月、激戦の末に一族は大天狗の岩から飛び込んで自決し、悲惨な最期を遂げて落城しました。

 こうした戦死者を弔って、元禄151702)年から坂東・西国・秩父の百番観音が建立され、嵩山全体が聖山であり、信仰の対象となりました。