会山行紀行文 | 10.6.26日(土)曇り 〜27日(日)雨 |
NO.63 中の岳・2085m 越後駒ヶ岳・2003m |
参加者15名 (男9・女6) |
1862 Y/I |
≪コースタイム≫ (26日) 新潟6:30=十字峡8:45=十字峡登山口8:58〜日向山(5合目)12:30−13:00〜 池の段(9合目)14:59〜中ノ岳15:30〜中ノ岳避難小屋15:40(泊) (27日) 中ノ岳避難小屋6:00〜檜廊下8:10〜天狗平9:03〜駒ケ岳10:10〜駒ノ小屋10:28−10:49 〜百草の池11:37〜小倉山12:17〜明神峠14:09〜枝折峠(14:36-14:45)=大湯温泉 15:15−16:30=新潟18:30 |
この土日は晴れマークだったのに、いつの間にか曇りから雨に変わっていた。梅雨時なのだから、梅雨前線がほんの少し上下しただけで天候が変わるのは当たり前、仕方ないかと溜息をつく。それでも心の中では、降らないでくれ、少しでも良いから展望を見せてくれと祈っていた。
土曜日の朝、6時半集合であったが、電車の都合で6時前には新潟駅南口に着いていた。するとどうしたことか、見慣れた顔が沢山見えた。おかしいな?、参加者は15名のはずなのにこんなに増えたのかなぁ、といぶかしく思ったが、どうも様子が違っていた。まず、ザックの大きさである。担ぐと自分の背丈を越えてしまうデカザックに対し、コンパクトにまとまった小さめのザックを担いでいる。それに、皆ニコニコと楽しそうなのである。空を眺めて悲壮な顔をしている自分らとは大違いであった。
そうだった、今日は会山行が3つあったのだ。
地蔵岳日帰りのグループと森吉山と滝巡りの1泊2日のグループ、それに自分らのグループである。さらにツアーの大型観光バスが次々に到着し、出発して行った。梅雨のさ中にもかかわらず南口は大賑わいであった。
喧騒が一段落してバスの数も疎らになったところで、我々のちっちゃなマイクロバスは出発した。
朝食を摂る者、おしゃべりに興ずる者とバスの中はいつもと同じ光景を呈していたが、FIFAワールドカップサッカーの影響か自分はこのところ寝不足気味のため、ここは静かに眼を閉じた。人の話し声も、心地よい子守唄に聞こえていた。
うとうととまどろんでいるうちに、いつの間にか川口SAに近づいていた。外を見ると、空は曇り空でも、意外にも山はくっきりと見えていた。目指す越後三山の中ノ岳、駒ケ岳も登頂意欲を誘うが如く堂々と聳えていた。
自分としては、中ノ岳、駒ケ岳に登るのは初めてではなかったが、今回のコース、十字峡から一気に標高差1,650mを中ノ岳に突き上げるのは初めてであった。十字峡登山口は、いろんな登山口がここから始まるためか、売店も備えた立派な山の拠点であった。
それにしてもいきなりの急登が続く。
ゆっくり行こうという掛け声は嬉しいが、肩に食い込むザックの重さには閉口だ。ましてや、じめじめと暑い天候の上、風が全く無いときた。まさにサウナ風呂状態であった。
雪渓を踏んで、中ノ岳を目指す一行。 それにしてもやっと半分なのです。 |
中ノ岳からの荒沢岳の勇姿。 かっこいい!!! |
岩に咲いた、ツガザクラの見事な群生。 実は、お花も沢山ありました。 |
1合目、2合目、3合目と標識を通過したが、その距離は実に長く感じた。この山は一体どうなっているんだ、いつになったら頂上に着くんだとつい愚痴も飛び出してくる。
それでも高度を徐々に稼ぎ、巻機山やそこから続く下津川山、本谷山の稜線が見える辺りに来ると、時々ではあるが爽やかな風も感じるようになってきた。
5合目、やっと日向山に着いた。30分間のお昼休憩、ようやく落ち着いて腹ごしらえができる。
しかし、いつもの調子で乾杯という訳にはいかなかった。眼前にはこれから登る尾根が中ノ岳まで高々と続いているのだ。まだ半分しか登っていないのだ。
天気はまだ持ちこたえてくれていた。そして、日向山は展望の良い山であった。疲れのため、食は進まなかったが、この展望と休憩はありがたかった。
一息ついて出発した。相変わらず苦しい登りが続く。これぞ登山と思い知らされる鉄砲登りであった。
皆の顔の中には、「何でこんなに苦しい思いをしてまで山に登るのだろう」という気持ちがありありと表れていた。それでも、歩を運んでいれば届かない山は無い。ついに9合目、池の段に到着した。
ここまで来ればもう安心、あとはゆるやかな稜線歩きである。
全員揃っていませんが、とりあえず 「ハイッ! ポーズ」、中ノ岳頂上。 |
ド迫力! 間近に見える八海山。 | 今夜のねぐら、中ノ岳避難小屋と 明日の目標、駒ケ岳。 |
ところどころ残雪も現れ、周囲の景色を楽しみながらの楽しい歩きとなった。中ノ岳頂上では皆、明日は見れないかも知れない景色を心ゆくまで眺め、カメラに収めていた。
避難小屋には15時40分頃到着したが、我々のグループ以外誰も居なかった。女性は2階、男性は1階、リーダーの掛け声に、皆、思い思いの場所を確保して今宵の塒をセットした。この小屋で大の字で寝れるのだからありがたいことである。
それから三々五々、2階の女性陣も下に下りてきて楽しい夕餉の始まりである。こんな苦しい山、”荷物はできるだけ軽く”ということはリーダーに言われるまでもないが、何としたことか、皆さん結構な食べ物と飲み物を担ぎ上げていたのである。
そうこうしているうちに、神奈川からだという単独行氏がやって来た。これで今夜の小屋仲間が勢揃いである。単独行氏には申し訳なかったが、多勢に無勢、了解の下に楽山会ペースで進めさせて貰った。
今回頼りになるLLのAリーダーの名司会で次々に自己紹介、蛸(他己)紹介、爆笑のうちに夜も更けていった。
その夜一晩中、強く弱く雨音が絶えることは無かった。そして翌朝も予報どおり、雨脚は遠のく気配は無かった。ここはリーダー判断で、出立は30分遅らせ、しっかりと腹ごしらえをし、身支度を整えることとした。
この雨の中、慌てて飛び出しても、ザックを降ろしてゆっくり休む暇など取れようはずが無いからである。まだまだ道中は長いのだ。
ところどころ残雪を踏み、期待の檜の廊下は雲の中を夢中で通り過ぎる。
2日目、雨の中の出立。 でも、みんな元気ですよ。 |
楽しみだった檜の廊下も無我夢中で 通り過ぎたのみ。 |
駒ノ小屋に向って下山開始。 慎重に慎重に足を運びます。 |
それにしても、中ノ岳から駒ケ岳の稜線の長かったこと。歩いても歩いても駒ケ岳は遠かった。景色が全く見えない山歩きの辛さを心底思い知らされたものである。
それでも、やっとの思い出駒ケ岳頂上に立った。憧れの百名山、初めての方も居られたようだった。景色は見れないまでもバッチリと記念写真を撮ることは忘れなかった。
それから、駒ノ小屋まで雪渓を慎重に降りて行った。
ところが駒の小屋は先客が大勢居て中に入れない。仕方なく、濡れながらの立ち食いだ。負け惜しみではないけれど、山なのだからこんなこともあり得ること、良い経験になったものと思う。ただ、冷たい水だけは豊富に出ており、生き返った気がした。
ついに駒ケ岳頂上に立ちました。この満面の笑顔を見てください。 |
その間にリーダーは食事の時間を割いて、マイクロバスと連絡を取り、枝折峠まで迎えに来るように変更。感謝、感謝、本当に頭が下がる。
駒の湯までの急降下は避けられたものの、疲れた身体にこの天気、枝折峠までの道もいつに無く遠かった。
マイクロバスが見えた時には本当に小躍りしたくなるほど嬉しかった。こんな気持ちは久々だ。
そこからは、運転手の好意に甘えて登山靴のまま乗り込んで、大湯温泉に直行。暖かい温泉とその後のビールのおいしかったこと。
仲間との親近感も一層湧いた思い出に残る山歩きだった。 (おわり)