会山行紀行文  2008.11.15(土) NO. 90 歴史の道と展望の山
塩の道と戸倉山・976m 1862 Y/I

小春日和の素晴らしい青空の下、会山行「塩の道と戸倉山」に参加してきました。
この時期は会山行が少ないこともあり、60人乗りのバスがほぼ満杯になるほどの盛況でした。
しかし、人気があるのは何と言っても、「塩の道」を歩くと言うAリーダーの企画が大勢の共感を呼んだからだと思います。おまけに展望の良い戸倉山登山もオプションについているのですからたまりません。

(今回歩いたコースの案内板)

まだ薄暗い新潟駅南口を予定通りに出発、北陸道を南下するうちに夜が明けてきました。五頭連峰から真っ赤な大きなお日様が昇ってくるのが見えました。今日の山行を祝福してくれているようでした。
糸魚川ICを降りると程なく「しろ池の森 原の館」に着きました。ここが今日の出発地点です。
海谷山塊から焼山がくっきりと見え、はやる気持を抑えながら準備をしました。

 (バスを降りるとすぐ飛び込んだ、海谷山塊から焼山の眺め)

紅葉を愛でながら晩秋の山道を歩き、白池、角間池で休憩を取り、1時間ちょっとで戸倉山山頂に着きました。
976mと低山ながら、終盤を迎えた紅葉もすっかり葉っぱを落とし、360度遮るものがありません。
真っ白に雪を被った白馬岳、眼前に迫る雨飾山、ギザギザな岩峰の駒ケ岳、大岩壁の明星山と、いつまで見ても飽きることはありませんでした。

写真IMGP0530 真っ白に雪を被った白馬岳方面

 (海谷山塊の駒ケ岳・鬼ケ面山・鋸岳、奥に焼山、眼前に雨飾山が広がっていました)

「塩の道」は信州と越後を結ぶ動脈としての重要な輸送路でしたが、とりわけ信州の人々にとってはかけがえのない生命の道でした。この道は千国街道(ちくにかいどう)と呼ばれていますが、松本から糸魚川までの約30里(120Km)の長い街道です。越後では松本街道、信州では糸魚川街道と呼ばれていました。

日本海側からは塩や魚などの海産物、信州からは麻、タバコ、大豆などの物資が牛馬の背に揺られて運ばれていました。
戦国時代、上杉謙信が仇敵武田信玄に塩を送ったという有名な話もこの道を通ったのでしょう。
牛馬やボッカ(歩荷)が踏みしめた「塩の道」千国街道、庶民の汗の道として歩く人々に深い郷愁を誘うこの道は、晩秋にはまさに落ち葉と紅葉のきれいな静かな山道でした。
今年一番の楽しい山歩きとなりました。

 (屋敷跡での楽しいお昼、持ち寄りのご馳走でお腹一杯になりました)

 (紅葉・黄葉で顔も身体も染まります)

 (下りの「塩の道」はどこまでも紅葉が続いておりました)     

(おわり)